清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局
リビングハウスこまつ
清水区真砂町3-9 ℡054-366-2335 fax366-4572
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2010年02月08日
チョコデーナイト・フィーバーatまちカフェSHIMIZU
チョコデー・ナイト・フィーバー
1978年1月、ヒットチャートを連続24週トップを走った、「サタデーナイト・フィーバー」をもじった親父ギャグナイト!
ということで、
ギャグとは気がつかない若い人から、
30年前はブイブイいわせたぜ!
という中高年のみなさま!
バレンタインを口実に、まちカフェSHIMIZUにあつまり、
物静かに、冬のひとときを過ごすのもよし、
フィーバーするもよし、
それは参加する人たちの成り行きで、どうでもなるナイト!
でも、今まで楽しくなかったことがナイト!
いわれるまちカフェSHIMIZUのパーティ
(オープニングしかやっていないが、ほろ酔いツアー、隣人祭りなど満足度高し!)
是非ご参加下さい。
詳しくはこちら↓
http://machicafe.eshizuoka.jp/e526568.html
ブロガーさんはじめ、どなたでも(既婚・未婚問わず)参加できますよ~。
お申し込みはオーナーメールでお願いします。
1978年1月、ヒットチャートを連続24週トップを走った、「サタデーナイト・フィーバー」をもじった親父ギャグナイト!
ということで、
ギャグとは気がつかない若い人から、
30年前はブイブイいわせたぜ!
という中高年のみなさま!
バレンタインを口実に、まちカフェSHIMIZUにあつまり、
物静かに、冬のひとときを過ごすのもよし、
フィーバーするもよし、
それは参加する人たちの成り行きで、どうでもなるナイト!
でも、今まで楽しくなかったことがナイト!
いわれるまちカフェSHIMIZUのパーティ
(オープニングしかやっていないが、ほろ酔いツアー、隣人祭りなど満足度高し!)
是非ご参加下さい。
詳しくはこちら↓
http://machicafe.eshizuoka.jp/e526568.html
ブロガーさんはじめ、どなたでも(既婚・未婚問わず)参加できますよ~。
お申し込みはオーナーメールでお願いします。
2010年02月07日
ローカル・アイデンティティ
ローカル・アイデンティティ、地域のアイデンティティ
最近この言葉が気にかかる。
「ファスト風土化する日本」三浦展 洋泉社新書(2004)
「ウェブが創る新しい郷土」丸田一著 講談社現代新書(2007)
「下流同盟」三浦展著 朝日新書(2007)
ローカル・アイデンティティ、地域の誇りと訳してもいいかも知れない。
地域の記憶が失われ、経済優先、都市間競争、グローバリゼーションなどによる均質化。
わが町への中央資本の進出を発展と捉えるような考え方。
そして、田舎は遅れている、恥ずかしい、貧乏だ、という思い。
地域の誇りを失ってしまった。
またそれは、自分自身は何者かということを分からなくしてしまった。
そして、地域から、また社会から、原点である家族からもつながりを失い、断ち切られる無縁社会。
無差別殺人、通り魔殺人、性犯罪、自殺などの背景には、地域の誇りを失ってきた、失わしめてきた時代がある。
ゆずの村・馬路村で決めたこと、「都会のまねをしない、都会の考え方のまねをしない」だった。
地域の誇りは何か、それを見いだすことが今急がれていることではないだろうか。
「都市縮小の時代」矢作弘 角川新書(2009)
なによりも大事なのは誇りなのではないだろうか。そしてそれを共有することl。
衰退する地方商店街
でも、われわれ商業者は地域のアイデンティティを最も目に見えるかたちで現して、よそから来る人に地方の生き方を見せることができるテーマパークであり、地域コミュニティを担い、お客と会話を交わすことで元気を支えている。
いろんな誇りがあるはずだとおもう。
最近この言葉が気にかかる。
「ファスト風土化する日本」三浦展 洋泉社新書(2004)
ファストフードは、全国均質の味を提供する。安いし早いし便利だ。しかしそれはその土地固有の歴史とはまったく無関係な食べ物だ。
・・・たくあんも梅干しも梅酒もみんな自分の家でつくっていた。・・・ところが今はすべてスーパーで売られている。衣服や住居も町並みもそうである。その土地の自然や風土と無関係になっている。
田圃の真ん中にアメリカ風やら地中海風やらの家が建つ。それはまったく風土と無関係だ。
・・・それは言い換えれば、生活のなかから生産、労働の要素がいっさい消えていくということだ。生活がたんなる消費でしか無くなるということである。しかもその消費は、ますます全国一律、世界共通の均質なものとなっている。
・・・それは、地方が地方としての土地の固有の記憶を失っているということだ。
「ウェブが創る新しい郷土」丸田一著 講談社現代新書(2007)
地域アイデンティティ、アイデンティティとは、自己の存在証明書のようなものである。しかし現時点での所属先だけで自分のアイデンティティを示すことは難しい。そこには自分の「ルーツ」が示されていないからである。
どんな偶然で誕生し、どんな地域の、どんな家庭で育ち、現在に至ったかという自分の歴史がルーツである。なかでも地域は、固有の生活様式や感受性を住民に与えてくれるものであり、他人に対して、時には自分に対しても、これが自己の大部分を間接的に証明してくれる。
松本健一は、「人は機構に所属することはできる。しかし、人工的に作られた機構によって生きていくことはできない。人は、その郷土によって与えられた文化を呼吸して生きていく」という。
地域には本来、自分たちが生まれ、いずれは死んでいく郷土としての重要な役割が備わっており、アイデンティティの唯一の拠り所になるはずである。
「下流同盟」三浦展著 朝日新書(2007)
地域のアイデンティティlocal identityがなくなること。地域のアイデンティティがなくなることは、場所というルーツを持たないということ。それは人生の意味の喪失につながる。
地域がずっと同じように存在しているということは、人間が人生の連続性を感じられるということです。同じ場所にいて、同じ人と会って、同じ店に行く。そういう暮らしがなくなるということは、自分自身を見失うということになる
ローカル・アイデンティティ、地域の誇りと訳してもいいかも知れない。
地域の記憶が失われ、経済優先、都市間競争、グローバリゼーションなどによる均質化。
わが町への中央資本の進出を発展と捉えるような考え方。
そして、田舎は遅れている、恥ずかしい、貧乏だ、という思い。
地域の誇りを失ってしまった。
またそれは、自分自身は何者かということを分からなくしてしまった。
そして、地域から、また社会から、原点である家族からもつながりを失い、断ち切られる無縁社会。
無差別殺人、通り魔殺人、性犯罪、自殺などの背景には、地域の誇りを失ってきた、失わしめてきた時代がある。
ゆずの村・馬路村で決めたこと、「都会のまねをしない、都会の考え方のまねをしない」だった。
地域の誇りは何か、それを見いだすことが今急がれていることではないだろうか。
「都市縮小の時代」矢作弘 角川新書(2009)
釜石の課題は、「鉄の町」から「鉄、機械、エコ、水産、観光・・・の多様な貌の町」へとローカルアイデンティティを再編し、それを「釜石の希望」として地域社会が共有しあうことである。・・・
「地方の希望」を考える際には、①(地域資源を基に)ローカルアイデンティティを再編し、②希望を共有し、③(希望の実現に)ネットワークを形成することが大切である。
なによりも大事なのは誇りなのではないだろうか。そしてそれを共有することl。
衰退する地方商店街
でも、われわれ商業者は地域のアイデンティティを最も目に見えるかたちで現して、よそから来る人に地方の生き方を見せることができるテーマパークであり、地域コミュニティを担い、お客と会話を交わすことで元気を支えている。
いろんな誇りがあるはずだとおもう。
2010年02月05日
麩饅頭が好きだ
食べ物にはこだわらないほうだし、
ましてや甘いものはこれが大好き
あれが好き、あそこの何々はたまらん!
とかいうのは一切ないが、
ある時この、麩饅頭なるものを知って好きになった。
笹の葉でくるまれた素朴なもので、その香りが清々しい。
和菓子の神髄は餡にあると思うのだが、
しっかりと味わえる。
濃いめのお茶とこの麩饅頭なら
小じゃれたケーキなんぞいらないと思う。
今日、買いに行ったら売り切れていた。
残念!!!
2010年02月04日
激写される
証明写真や集合写真で「はいポーズ」パチリ。
これはいくらでもあるが、ポートレートを本格的に撮影されたのは初めて。
それも、まわりの灯りはすべて消し、カメラマンが持ってきた一灯のライティングで、間近からのまさに激写。
すべて顔のクローズアップで、いろいろな角度から、ライトの位置や目線などを変えながら撮影される。
カメラマンはまだ本当に若い女性。
清水の人のポートレートを100人撮るのだという。
今までの作品を見せてもらうと、これが本当にいい。
それぞれの人の内面が浮かびだし、いい表情をしていて素敵だ。
これならば撮ってもらいたいと思うものばかり。
風景写真もいいが、人もいい。
若いのに、知らない人にコンタクトを取り、被写体になってもらうことをお願いし、またその写真に添える言葉を書いてもらい、数多く撮ったもののなかから一枚を選び出し、さまざまな工夫をして作品をつくりだしていく。
作品展が楽しみだ。
この人はきっと世に出る、そう思います。
2010年02月03日
伯爵の愛した蒲原
蒲原の青山荘
田中光顕伯爵の別荘
伯爵の履歴をかいつまんでいうと、
土佐勤王党で武市半平太に師事、政変から弾圧を受け脱藩、以後土佐に帰ることはなかった。
長州征伐の幕軍を混乱させるため大阪城焼き討ちを計画するが、新撰組に察知され十津川に逃げ潜伏。
京に戻り、坂本龍馬、中岡慎太郎らの薩長同盟のために働く。その中で長州の高杉晋作の弟子となる。
坂本龍馬・中岡慎太郎が暗殺されたとき駆けつけ、中岡から犯人の特徴などの証言を聞く。
その後鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争で活躍する。
維新後は陸軍少将、警視総監、学習院院長、宮内大臣など要職を歴任する。
この建物は大正7年に完成されたというが、田中光顕伯爵が、昭和14年3月95歳でなくなるまで住んでいた。
洋館が手前の石垣の上に建ち、多分そこからは海がよく見えたと思える。
その奥が、純和風の玄関で洋館とつながる。
現在は、この建物に続く松隣閣と呼ばれる一画も日本軽金属の管理で迎賓館として使われていると聞いたが、営業の人たちなどを案内するという。
3~4mあろうかという石垣は盛り土し築いたもので、建物の下に地下道があったり、建物横の出っ張りも通路で、幕末、維新、明治、大正、昭和と激動のなかをくぐってきた志士出身の伯爵ならではの、襲撃時への用心だったようだ。
多くの要人がこの地を愛し、この地で終焉を迎え、それがまた長命なことに驚く。
2010年02月02日
親亀、友亀、番亀?
この寒さに、ひなたぼっこの亀三匹。
甲羅干しに念がないが、上になった亀の日陰に他の二匹がなってしまう。
じゃれているのだろうか。置き石が温まっていておなかが暖かいのだろうか。
みていてほほえましい。
この亀さんたちの、100mほど西寄りにある、清水銀行由比支店本町特別出張所は、大正14(1925)年に建てられたもので、国の有形登録文化財。
由比町初の鉄筋コンクリート建築、清水にある日本最古?のコンクリート造りの寺院、光福寺と同じく、地元の人間の施工というのがうれしい。
ここから話は一気に暗くなる。
1月31日NHKスペシャルで放送された「無縁社会」
孤独死は、誰にも気づかれず、立ち会う人もなく独りで死んでいくことだが、
無縁死とは、なくなってもどこの誰かがわからず、お骨の引き取り手もいない人の死。
それが年間3万2千人に上るという。
仕事をしている間は、会社や同僚とのつながりがある。
しかし、失業や定年で勤めをやめ、アパートなどで独り暮らししている人がなくなると、誰もその人の身寄りを知らない。
残された手がかりから故郷をさがしても、とうに実家はなかったり、兄弟とも音信不通であったり、さまざまな理由で縁が切れてしまっている。
そして亡くなっても、どこの誰かわからない、誰も引き取り手がない。
無縁死! (行旅死亡人という言葉を初めて聞いた)
会社を辞めたら地域とつながってほしい。
独り暮らしの人はとくにそうだ。
そんななかで、地域にずーっとあり続けるこの銀行のような建物は、本当に貴重だと思う。
そして、背中に乗っかってくるような仲間がいることが必要だと思う。
みていて楽しいのは、我々がそんなつながりを失いかけているからだろうか。
2010年02月01日
チョコデーナイトフィーバーonバレンタイン


チョコデーナイトフィバーonバレンタイン
どなたでも参加できる、まちカフェSHIMIZUの交流パーティー
日時 2月12日(金)18:30開始(受付18:00~)
場所 清水区真砂町3-9 リビングハウスこまつ1階まちカフェSHIMIZU
参加費 男性500円(ちょっとだけオードブル持参ください・ワンドリンク付き)
女性無料(チョコレート持参ください・ワンドリンク付き)
(ドリンクはコーヒー・ビール・ワイン)
申し込みはこのブログのオーナーメールへどうぞ!
どなたでも参加できるまちカフェSHIMIZUの交流パーティーです。
いろんな人と出会えて、交流できる、楽しい集まりをしたいと思います。
2010年01月31日
侯爵の愛した横砂
静岡市埋蔵文化財センターは、幕末・明治・大正と生きた、長州出身の井上馨侯爵の別荘「長者荘」のあったところに建っている。
長者荘本館は、2階建ての和洋折衷様式で、別館は平屋書院風と思われ、その背後にはコンクリート造りの倉庫があり、国内有数の趣味人「数寄者」としてのお宝があったと思われるが、昭和20年の空襲ですべてが消失してしまった。
井上馨侯爵だが、尊王攘夷派で高杉晋作、久坂玄蕃、伊藤俊輔(博文)らと英国公使館を焼き討ち。
しかし長州の秘密留学生として英国に向けて横浜から出航、5ヶ月かかったそうだが、わずか4,5日後上海で外国艦船とまちをみたとき早くも「攘夷はやめた」といい開国洋化主義者に変わったという。
鹿鳴館は井上が設立した。
ロンドン大学に学んだが、ロンドン大学にはこの5人を長州ファイブと呼び、碑が建てられているという。
国を挙げて攘夷と唱えているときに、それをやめさせる、異を唱えるのは命がけだ。井上候は刺客に襲われ、五十数針を縫うという死の寸前まで行ったがかろうじて命を取り留めた。
若いときはこのようだったが、維新後は新政府の要職を歴任した。
62歳の明治29年、横砂に長者荘を建て、大正4年81歳でここで人生の幕を閉じた。
この地には、最後の元老西園寺公望の坐漁荘、蒲原に田中光顕伯爵の青山荘、富士川に古渓荘などがある。
長者荘が残っていたらすごかっただろうと思われる。
2010年01月30日
埋蔵文化財センター
清水区の横砂東町、国道1号線が波多打川(はたうちがわ)とJR東海道線を越える坂の頂上から入ったところにある。
埋蔵文化財の保管・整理のために作られているので派手さはないが、ひろびろとした敷地にほとんど人はいなくてゆったりと時間が過ごせる。
その中で目を引く巨大な展示物が、巴川から見つかった丸木船
重さが1.4トン、長さが5m15cm、最大幅が1m34cm、高さ64cmというもの。
楠で樹齢350年、直径3mの巨木を使ったもので、800年前の鎌倉時代のものだという。
なかなかすごい。
建物内部に、尾羽廃寺の瓦を焼いたという、7世紀後半から8世紀前半の窯のあとを写し取り復元したものがある。
そのころといえば大化改新があり、白村江へ庵原の君が将として百済救済に行き、奈良に都ができた時代。
朝鮮半島から多くの渡来人がこの地にもきた時代。
この地はかなりの先進地だっただろう。
2010年01月29日
河村医院
ふだん何気なく見過ごしてしまっているが、立ち止まってみたり、写真に切り取ってみるとなかなか趣のある建物がある。
興津の河村医院がそれだ。
インターネットで調べてみても、建物のことにふれているものがない。
こうしてみてみると、なにふうというかわからないが、静岡県庁舎と似ている感じがする。
県庁舎は昭和12年に造られたというが、その頃の建物だろうか。
同じ興津の坐漁荘は大正9年建築というので、にぎわいある時期に造られたのかもしれない
正面右2階の出窓もおしゃれである。
窓といえば、こんな窓も発見!
まちを歩くと、楽しい発見がたくさんあります。
2010年01月27日
隣人祭りinまちカフェSHIMIZU
まちカフェSHIMIZUのオープンイベントに一つとして、隣人祭りを開催!
開店イベントの相談を受けたとき、そのコンセプトとしての溜まり場、つながり、交わる場の提供ということでは、隣人祭りだ!と提案させてもらった。
もう大盛況、写真はカフェスペースだが、2階のギャラリースペースも満杯。
さまざまな人が来て、出会いがあり、楽しく、まさしく隣人祭りが行われた。
今回の主催者、walterさんや今までの私のつながり、もちろんブログのネットワーク、行政、まちづくり、団体、多くの人たちが集まってくれた。
反省点も多々ありましたが、人々のつながりの拠点としてのまちカフェSHIMIZU、これからもそんな活動をしていく場として注目して下さい。
私たちが仕掛けるというより、ここでこんなコトしたい、それができる場所だよと思ってくれるというれしいし、それに答えていきたいと思います。
とにかく楽しかった~!
2010年01月26日
土蔵
尾羽廃寺跡付近にある土蔵。
造られた時代によっても違うのだろうが、同じ清水でも湊の石蔵群にたいして、庵原は土蔵である。
気象つまり、温度、湿度、雨量、日照そして地味、どんな地質か、どんな植生か、豊かに繁茂するのか、風土。
海から近いか遠いか、道は通じているのか、水運はどうか、その土地に根ざすあらゆることが土地を耕すとの意を持つ、カルチャー・文化を規定する。
ゆえに文化は輸出不可、それがその土地の魅力を際だたせる。
その意味で、この蔵は魅力的だ。重厚であり、格調があり、美しい。
できたときの美しさはなかったろう。
でもこのたたずまいも好きだ。
ひっそりと、誰にもほめられずに風雪に耐えてすっくと建つさまは
人生にたとえて、見るものの胸を締め付ける。
2010年01月25日
王にふさわしい墓
5世紀初頭の古墳時代のもので、若い成人男子の骨があり、有力豪族の墓とみられる。
清水の庵原にある三池平古墳。
この場所に立てばそれが王としていかにふさわしい場所かがわかる。
わずか標高55㍍というが、前方には駿河湾に通ずる豊饒の海が見渡せる。
春は山菜を採り、夏は魚を追い、秋には木の実を拾い、冬には動物を狩るという縄文の時代から続く、豊かな土地であっただろう。
背後も、迫り来る山塊には距離があり展望がきく。
ナショナルトレーニングセンターの施設でトレーニングに励む精気ある声が、若き王の霊を慰める。
そして南西方向には、有度山と南アルプスの南端の山裾の間を通して、静岡の中心部が見える。
そして、その向こうは日本坂峠と大崩まで見渡せる。
もう一度南をみれば、東名高速と第二東名を結ぶ尾羽ジャンクションが目の前に展開中だ。
この王の葬られた一世紀ほど後に日本に伝わった仏教を、国の柱とするため7世紀後半に造られた尾羽廃寺跡付近に、現代の神「資本主義経済」を支える、大動脈が造られている。
尾羽廃寺はその名前さえわかっていないが、金堂・講堂・五重塔などを揃えたものだったという。
2010年01月24日
清水もつカレーレトルト第2弾

レトルトのもつカレー、第2弾として清水酒販が企画販売した
「呑喰処さむ」の協力商品が、パッケージを新たにした。
前回のものが、第1弾と似すぎていて区別がつきにかったのが理由と思われる。
しっかし、「カレー」のイメージとはちょっと離れた大胆な色つかい。
法事の引出物狙いか?(冗談が過ぎたらごめんなさい)
レトロモダンで、格調あり!
こちらは第一弾とはことなり、こんにゃく・ごぼうが入ったもの。
清水のもつカレーはそれぞれに特徴があっておいしい。
お試し下さい。
※しかし、なかに便乗商品と思われるものも出てきました。
このブログには、私たちもつカレ総研が食べて、清水モツカレーだと認めたものを掲載しています。
2010年01月23日
生涯現役 ジャズ魂を持つ不良

「生涯現役 ジャズ魂を持つ不良」とは、09年8月読売新聞に掲載された、藤家虹二についての記事の見出しだ。
だが、これは本人の言葉だ。
「恵まれない高齢者音楽隊として、老衰と戦いながらヨロヨロと歩き続けています。病気と老いに打ち勝つ方法、それは最後までジャズ魂をもった不良でいることだと信じています。クラリネット、万歳!ジャズ、万歳!」
2度のガン発病を克服、東京芸大を首席で入学、首席で卒業、クラシックのコンクールでも優勝とまじめっぽいが、がんセンターでもたばこを吸うグループで夜中まで大宴会やったり、手術で看護婦さんを指名したり、不良のエピソードもいっぱい。
この藤家虹二クウィンテットのコンサートが昨年11月静岡で開かれた。
その時の演奏が、SBSラジオでこの24日、日曜日22時から始まるインビテーショントゥジャズで放送される。
私たちNPOまちづくり考房SHIMIZUが毎年5月に開催している「ポートサイドジャズinしみず」でも司会をお願いしている、今村政司さんが、自ら企画・構成・製作・出演、30年以上も続いているという番組。
というと、このお二人すごいなぁ。
年季の入りきった、出演者と制作者のこの番組、もしかしたら後世に伝えていくべきものかもしれない。
録音して保存しておく、その価値がありそうだ。
皆さんもぜひお聞き下さい。
それから、もう一つ。
このコンサートが静岡で開かれるのは、一人の女性のまっすぐな藤家さんへの想いから実現している。
そんな人たちの織りなすジャズが電波に乗って静岡に流れる。
そんな静岡が好きだ。
2010年01月22日
清水もつカレー増殖中
町内会の新年会。
同じ隣組にある「両河内」で開催。
おまかせコースの中でなんと「もつカレー」がでる。
なんと!!!というのは、この店は以前「もつカレーやってる?」と聞いたときに、
はっきり「やってません」と答えてくれたからである。
その名の通り、出身地というか縁のある山間地の地名を店名にしただけあって、
港町に由来する「もつカレー」はないのか、と感心していた。
しかし、大将さすがに一筋縄ではいかない誇りがある。
一工夫も二工夫もした「もつカレー」が出てきた。
どちらかというと、「もつカレー鍋」というふうだが、うまい。
ごらんのように、なす、ジャガイモ、トマトになんと、とろけるチーズが入っている。
じつは、発祥の店「金の字」隣の「福助」さん、こちらも「イカスミもつカレー」という逸品がある。
それも隣があるので、工夫し考えたあげくにできたものという。
こうして、清水もつカレーはそれぞれの店が工夫してどんどん進化していく、増殖していく。
いいなぁ、嬉しいなぁ、これは清水の食文化、ローカル・アイデンティティをあらわすソウルフードだ!
店の名前は「両河内」 清水駅前銀座アーケード街にあります。
2010年01月21日
江尻宿の石蔵(2)
旧東海道が江戸から江尻宿へ直角に曲がりはいる街道沿いの古い商家が取り払われ出現した石蔵。
前回は重機が入っていて近寄れなかったので、再度見に行くと、近所の人がいるので話を聞く。
戦前は、真田という百貨店がここの広い区画を占めて商売をしていたらしい。
そしてこの蔵の横(更地になったところ)、そのまた隣にも蔵があったという。
しかし、それは太平洋戦争の艦砲射撃で失い、この見えている蔵は残ったのだという。
そして、更地になって見えた奥の瓦屋根の家は昔芸者の置屋さんだった。
街道の向かいにはお風呂やさんがあった。
などと、思いもかけないことを聞く。
まちにはいろんな思い出や出来事があった。
しかし、それは残されもせず人々の記憶から薄れ消えていく。
それでいいのだろうか。
ローカル・アイデンティティという言葉を聞くようになった。
地域の存在証明、帰属意識を持つよりどころ、人々が共有し誇りとする地域独自の、例えば建物といったモノ、祭りといったコト、郷土出身の英雄や有名人といったヒト・・・。そのような意識、考え方、気質、行動様式・・・。
それがグローバリゼーションのなのもとに、文化にも植民地化が進展し、地域のアイデンティティを失いつつある。
しかも、コンビニや、ファストフード店、ナショナルチェーン店などが、わが町に進出してくるのを「発展」「成長」ととらえる人や、そういった地域とは関係のない店の商品で育った年代の人たちが、役所や主だった組織の中枢にいる時代にもなった。
そうすると、地域のアイデンティティを現す赤レンガ倉庫を、「残す意味がない」などといってしまう。
こういう人は多分フランス料理のあるシェフが言ったという、こういう人たちだろう。
「ファストフードのような人工的な味や香りの刺激の強いものをこどもの時に味わうと、微妙な味わいを感知する能力が育たない。味覚がぼけてしまう。そうすると脳の働きが弱くなる」
2010年01月20日
日本のガウディが清水の山里に
建築史家の村松貞次郎が「あっ!これは日本のガウディ」と叫んだという寺院が清水の柏尾にある。
村松貞次郎は島田市出身で東大の建築学科卒、明治村館長を務めたという建築学会では偉大な学者。生前グラビア誌にあった大工道具の紹介をみていたく感動し、島田出身だということで印象に残っていた人。
その大家がおもわず叫んだという、光福寺本堂は鉄筋コンクリートの寺院としては日本で最も古いものの一つ。
案内文
大正13年から昭和2年にかけて建設された、鉄筋コンクリート造りの寺院本堂。
大正12年(1923)関東大震災による木造の全焼や、煉瓦造り崩壊で反省され未来永劫残せるものとの考えから、、変わって鉄筋コンクリート造りが、地方へ伝播してきた先駆的建物として貴重である。火灯窓(かとうまど)・懸魚(げぎょ)等伝統的寺院建築の手法を含めながらも、全国的に例をみない思い切った特異な意匠である。新しい技術やデザインに果敢に挑戦した先人の努力と、創造力の豊かさは近代建築として優れている。
平成12年7月 静岡県教育委員会 光福寺保存顕彰会
このお寺に至る道、そして山門
清水のまちの平らかな部分が山に突き当たったそんな里に、建築技術の最先端の建物ができた。
しかも、設計施工を行ったのは、清水で製材所、木工所、土木建築請負業を行っていた人だという。有名な建築家を呼んできて造ったのではなく、地元の人たちで造ったというのだ。これは清水がもっと誇っていいことではないだろうか。
大正13年は1924年、清水が開港して25年。
「富士宮の刀鍛冶に育ち彫金の飾り職人として修業した春田政藏が港として発展途上にある清水に来て紺屋町に貴金属商春田商店を開業したのは大正3年である」(郷土史家 多喜義郎)。メガネの春田の前身で、眼鏡店としては1920年を創業としている。
また、大正9(1920)年頃には港町の老舗蕎麦店「蓬莱亭」、洋食店「サンライス」などが相次いで開店している。
清水が前途洋々と輝いていた時代であったのだろう。
これは清水のローカル・アイデンティティ(清水が清水である身分証明・独自性)としての、「進取の気性」「挑戦」「自ら行うという自立性」などの象徴としても大事な資産だ。
内部を覗かせてもらうと、もちろん畳ではなく人造石であり、教会のようだ。
折りたたみの椅子があったのでそれを使うのだろう。
須弥壇も大きく深くというではなく、簡素なものだ。
正面屋根の部分を左右に飾るレリーフは鏝絵で、伊豆から職人がきて造ったという。
長八の弟子というような人だったのだろうか。
※このブログは季刊清水42号(戸田書店)の特集3「柏尾光福寺本堂の保存修理」鈴木悦夫著をもとに現地に行き書きました。
皆さんも、ぜひ一度ごらんになって下さい。
2010年01月18日
会話は価格に含まれないのか?

最近の新聞報道に、共通してみられる気になることが相次ぐ。
「独居男性、老後孤立 内閣府調査 頼れる人ない24%」(09.1/24)
独居男性の41.2%、独居女性の32.4%が、2,3日に一回以下しか会話していない。(会話には電話やメールも含まれる)
男性の41.2%の内訳
一週間に一回以下ほとんど会話しない11.8%
一週間に一回6.7%
2,3日に一回以下22.7%
とひとり暮らしの人の会話率が低い。
「空き家率13%、過去最高」(09.7/29)
住宅の全国総数5957万戸中、空き家の割合は13.1%で前回03年調査より0.9ポイント上回った。
65歳以上の高齢単身世帯も前回調査から、22.4%!増の414万世帯になった。
とその高齢単身世帯が急増している。
増える県内単身世帯(08.4/15)
1980年に15万世帯にすぎなかった県内の単身世帯数が2005年には33万世帯に倍増したことが静岡経済研究所がまとめた「増える単身世帯と消費市場の変化」でわかった。30年後には1.5倍の50万世帯になると推計する。
孤立生む「ウチとソト」(09.4/18)
2006年に出されたOECD(経済協力開発機構)の報告書では、国際的に見て日本は最も「社会的孤立」度の高い国であることが示されている。
この場合「社会的孤立」とは、家族以外の者との交流やつながりがどのくらいあるかという点にかかわるもので、日本社会は先進諸国の中でそうしたつながりが最も弱いという結果が出ているのである。
そんな中で、昨日発生後15年を迎えた阪神淡路大地震
孤独死09年は62人、震災復興住宅、増加に転ずる(10.1/15)
05年以降は年々減少していたが、一転して08年の46人から16人増えた。仮設住宅が解消した00年以降の孤独死は計630人になった。
なんと、一週間にひとり以上の割合で、玄関で風呂場で、病気で、事故であるいは自殺で、誰にも看取られず独りで死んでいく。
高齢社会・非婚独身による単身世帯の増加、高層建築住宅による顔の見える関係の喪失、地方個人商店の減少、会話の減少、つながりの喪失、孤立、孤独死。
これらは明らかに、恐ろしい勢いで進行している。
「暴走老人」に見られるように、疎外感を抱く高齢者がキレる。
そういうイライラは、個人商店での会話で解消されていた。豆腐や卵を買うついでに嫁の悪口を言って盛り上がっていた。床屋や美容院でのおしゃべりもその役割を果たしていた。しかしアメリカ型セルフ方式のスーパーの普及などで、価格は下がったが会話はなくなった。
だが、豆腐や卵や野菜や肉の価格の安さは、会話という時間と引き替えるほどの価値があったのか。
一体値段の安さというのが、地域のコミュニティ、近所つきあい、近くの人が利用しあう関係、助け合う社会などより価値のあることだったのだろうか。
高齢者ばかりではない。
ちいさい頃から、言葉をひとことも発せずに買い物できる便利さ。
買い物は親に車に乗せていって連れて行ってもらう郊外ショッピングセンター。
そこで、どこでどう「こども」は社会と繋がることができるのか。
コミュニケーションをどう他人と持つのか、他人との間合いをどう計るのか、それらをどこで学ぶのか。
小中不登校12万6千人(09.8/7)
2008年度に病気や経済的な理由以外で学校を30日以上欠席した「不登校」の小中学生は3年ぶりに減少し、前年度比1.9%減だった。文科省は「不登校が多い状況に変わりはない。鍵になる初期段階の対応に配慮し防ぎたい」としている。
最後に引用
「下流同盟」三浦展
われわれは、ファストフードの利便性をしばしば享受することがあったとしても、毎日ファストフードを食べることを強要されてはならない。同様に、ファスト風土的な商業地域で買い物をすることがあったとしても、ファスト風土に毎日住むことを強要されてはならない。そんなことをすれば、体力も気力も社会性もない人間が育ってしまうだろう。
ファストフードを食べるか否かを自由に選択できるように、ファスト風土に住むか否かも自由に選択できなければならない。そのためには、ファストフード以外に多様な食べ物があることが当然であるように、ファスト風土以外の(以前の)風土や街が、選択肢として存在し続けなければならない。
もちろん、大型店には営業の自由がある。しかし、大型店の郊外出店が中心市街地を破壊するとすれば、それはわれわれが多様な生き方を選択する自由と権利を侵害しているというべきであろう。自由主義が民主主義を侵害しているのだ。そういう場合には自由は一定の制限を受けるべきである。暮らしのすべてが自由主義や競争主義の価値観によって支配されるべきではない。それは行き過ぎた自由主義である。
最後にお知らせ
隣人祭り in まちカフェSHIMIZU
日時 1月26日(火)午後6時~
場所 まちカフェSHIMIZU(リビングハウスこまつ内・清水区真砂町3番9号)
自分の飲み物・食べ物をお持ち下さい。マイ箸、マイカップも)
2010年01月16日
武田武将と家康の戦い
母の実家のお寺「海長寺」に法事で出かけると、本堂左に椿の木があり立て札がある。
朱印の椿
天正10年(1582)12月のこと 徳川家康公、武田方武将今福丹波守に追われ 当山椿樹の陰に逃れ一命を止めれられる この故事により朱印を受けこの名となる。
第十二代日應上人の御時也 立札寄進 遠藤稚三殿
またしても、武田武将今福丹波守と家康との戦いの伝承である。
家康を討ちとり逃した丹波守ら主従7人は村松で、その責を取って自刃し、それを村人が七代様と呼んで供養したというのが「杉原山虚空蔵堂」の説明文にあり、話がつながる。
しかし、今福丹波守は城代であった久能城を徳川方に攻められ籠城の後、天正10年2月(10月)城を明け渡し、甲州に去ったという説もある。
いずれにせよ、戦国の世 信長が本能寺の変で討たれた年、この地でも激しい命のやりとりがあったことは間違いがない。



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