清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局
2009年01月30日
川は流れる、線路の上を
静岡鉄道狐ヶ崎駅のすぐ東側に谷津沢川水路橋がある。
これは文字通り、線路の上を水路(川)のために架けられた橋で、
線路の上を川が流れている。
写真で緑色の部分がその水路。
そして写真中央部分、向こう側のノリ面に昔の橋脚の跡がある。
全国的にこのような橋がどれくらいあるか分からないが、
普通は川を線路が橋で渡る。
ところがこれは川が線路を橋で渡っている。
全くの逆さまなのだ!!!!
おもしろい!
この歴史を聞いた。
明治22年国鉄東海道線を敷設するときに、この谷津沢川水路橋はつくられ、
昭和5年に架け替えられた。
しかし昭和49年の七夕豪雨の時にあふれ
狐ヶ崎駅が水没してしまうという被害に遭い、
平成12年頃、現在の橋に架け替えられたそうです。
こんな身近なおもしろスポットを歩いてみたいと思います。
Posted by クールなお at 13:49│Comments(8)
│our town
この記事へのコメント
これは、おもしろいですなぁ。。。
全く知りませんでした。
物事には歴史がある。人物もそうですね。
そういう物語がわかってくると
まちが楽しくなりますね。商店街もそうなんだと
思います。
全く知りませんでした。
物事には歴史がある。人物もそうですね。
そういう物語がわかってくると
まちが楽しくなりますね。商店街もそうなんだと
思います。
Posted by チャオクボ at 2009年01月30日 18:32
これは120年程の歴史を持っているのですが、
郷土史に載るようなものではない。
だけど面白いよね。
身近なところの話しは、知っているところだけに楽しい。
郷土史に載るようなものではない。
だけど面白いよね。
身近なところの話しは、知っているところだけに楽しい。
Posted by クールなお at 2009年01月30日 19:49
谷津沢川はこんなところを流れていたんですね。
大沢川からさかのぼっていくと、橋の手前で見失ってしまうので不思議でした。
想像以上の長い歴史にもおどろきました。
大沢川からさかのぼっていくと、橋の手前で見失ってしまうので不思議でした。
想像以上の長い歴史にもおどろきました。
Posted by Asagi at 2009年01月31日 14:54
この風景は私が小学校のころからあったような記憶が。
当時はこの場所まではなかなか行けないような感じだったけど、
今は傍まで行けるんですね。
大雨などで溢れたら線路に川の水が?
昔はこの辺は狐に騙された話があったよ。
荒れ野原で人は住んでいなかった。
当時はこの場所まではなかなか行けないような感じだったけど、
今は傍まで行けるんですね。
大雨などで溢れたら線路に川の水が?
昔はこの辺は狐に騙された話があったよ。
荒れ野原で人は住んでいなかった。
Posted by スプリング・フィールド(S・F) at 2009年02月01日 19:26
>asagiさん
谷津沢川をジャスコの方から追ってくると、旧東海道から地下に潜ってしまいます。そして水路橋を渡り、おーいどこ行っちゃったんだ~と見ると、右手に川筋がみえて、きっとそこだよね、と見当がつきますが、何も知らないで巴川方向から来たら、忽然と消えてしまい、とても線路を渡っているとは想像できないでしょうね。
意外と面白いところだと思います。
谷津沢川をジャスコの方から追ってくると、旧東海道から地下に潜ってしまいます。そして水路橋を渡り、おーいどこ行っちゃったんだ~と見ると、右手に川筋がみえて、きっとそこだよね、と見当がつきますが、何も知らないで巴川方向から来たら、忽然と消えてしまい、とても線路を渡っているとは想像できないでしょうね。
意外と面白いところだと思います。
Posted by クールなお at 2009年02月02日 18:52
>S・Fさん
以前はこのような渡れる、つまり水路橋の上が歩道にはなっていなかったと思うのですが、そんな昔のことは分かりません。
南幹線も、高校のころはまだ無かったと思います。
思えば遠くへ来たものだ。
以前はこのような渡れる、つまり水路橋の上が歩道にはなっていなかったと思うのですが、そんな昔のことは分かりません。
南幹線も、高校のころはまだ無かったと思います。
思えば遠くへ来たものだ。
Posted by クールなお at 2009年02月02日 18:56
こんにちは。
この橋を始めて渡ったのは小学3年で、昭和50年前です。
当時は両サイドに手すりがなく、人の歩くところは木でした。
風にあおられたら・・ 川に落ちるだけでしょうか。
とにかく肝試しみたいな橋でした。
その後手すりがついて、木の部分も鉄にされて・・
今では太鼓橋と共に大きく様変わりしましたね。
この橋を始めて渡ったのは小学3年で、昭和50年前です。
当時は両サイドに手すりがなく、人の歩くところは木でした。
風にあおられたら・・ 川に落ちるだけでしょうか。
とにかく肝試しみたいな橋でした。
その後手すりがついて、木の部分も鉄にされて・・
今では太鼓橋と共に大きく様変わりしましたね。
Posted by T.T at 2009年06月19日 17:04
>T.Tさん
こんにちは。
その後の情報では、この手の橋は全国にはもう一つだけあるそうです。ですからずいぶん珍しい橋です。
50年前では、その地域の人しか知らなかったと思います。
私がこの橋を知ったのは、20年ほど前だったと思います。
このところ、まちのあちこちが更地になったり、取り壊されたりして、風景が様変わりしていきます。
昔の写真が記帳になってきますね。
こんにちは。
その後の情報では、この手の橋は全国にはもう一つだけあるそうです。ですからずいぶん珍しい橋です。
50年前では、その地域の人しか知らなかったと思います。
私がこの橋を知ったのは、20年ほど前だったと思います。
このところ、まちのあちこちが更地になったり、取り壊されたりして、風景が様変わりしていきます。
昔の写真が記帳になってきますね。
Posted by クールなお at 2009年06月20日 10:54