清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局
2007年08月06日
まつりが終わった
第60回のみなと祭りが終わった。
新生みなと祭りとして、さつき通りを通行止めにし生まれ変わったのが第29回(昭和51年)からなので、あれから早30年以上が経過した。
昭和49年の七夕豪雨でみなと祭りが中止され、50年みなと祭りプロジェクトチームが発足し、その年清水駅前銀座商店街青年部の7月例会で「まつりをつくろう」のテーマでディスカッションをし、出てきた案をまとめて商工会議所に提出。それが現在のみなと祭りのもとになっている。(清水駅前銀座かわら版より)
その当時はみなと祭りと商店街は関わりが深く、県内の市町村や山梨・長野まで宣伝のキャラバン隊に参加したり、広報委員長を務めたり、息子の写真がポスターにたまたま載ったりした。
新生みなと祭りの基本的合意
1)祭りは若者のエネルギーを軸としなければならない
2)全市民の祭りに脱皮しなければならない
3)見せる祭りから参加する祭りに組みかえる
4)市民の連帯感の高揚とコミュニケーションの場づくりにより郷土清水への愛着を深めよう
5)さつき通りを祭り広場とす
(清水商工会議所五十年史)
ブログにこれだけ祭りが投稿され、「清水」に誇りを持つ市民が多いことは、このときの再生が間違っていなかったと思うが、30年の経過はそろそろ原点に立ち返る時期かもしれない。
Posted by クールなお at 14:27│Comments(3)
│our town
この記事へのコメント
クールなおさん
トラバありがとうございました。
同じような日記書いてましたね。笑
私は生まれ変わったみなと祭りしか知らないので、
というか、生まれ変わったことすら知らなかったので・・・
当時、こんな目標があったとは知りませんでした。
私の知っているみなと祭りはここに書いてある基本合意どうり。
それが、そのままアイデンティティになっているんですね。
そうやって築いてきてくれた先輩方にあらためて感謝です。
トラバありがとうございました。
同じような日記書いてましたね。笑
私は生まれ変わったみなと祭りしか知らないので、
というか、生まれ変わったことすら知らなかったので・・・
当時、こんな目標があったとは知りませんでした。
私の知っているみなと祭りはここに書いてある基本合意どうり。
それが、そのままアイデンティティになっているんですね。
そうやって築いてきてくれた先輩方にあらためて感謝です。
Posted by HARU at 2007年08月07日 00:40
清水っこていうのはみんな熱い想いをもって、まちに誇りを持っている。
このブログを見ているとつくづくそう感じられます。
地域ブログは地域資源の発見が大きな機能ですが、
熱い人間がこんなにいるとは、まさに地域資源の発見でした。
まだまだいけるぞ清水!
このブログを見ているとつくづくそう感じられます。
地域ブログは地域資源の発見が大きな機能ですが、
熱い人間がこんなにいるとは、まさに地域資源の発見でした。
まだまだいけるぞ清水!
Posted by クールなお at 2007年08月07日 19:27
30年前、青年だった方の熱さを
今の青年が学んでいきたいと思います。
役所の中をみても、豪快・明快・爽快
市民に親しまれる役所を築いていた世代が
確かにあるように感じます。けんかをしても
わかりあえるような優しさが今失われているような気も。。。
合併したからこそ、
隣人の顔が見える街づくりソフトを
つくっていきたいですね。
今の青年が学んでいきたいと思います。
役所の中をみても、豪快・明快・爽快
市民に親しまれる役所を築いていた世代が
確かにあるように感じます。けんかをしても
わかりあえるような優しさが今失われているような気も。。。
合併したからこそ、
隣人の顔が見える街づくりソフトを
つくっていきたいですね。
Posted by チャオクボ at 2007年08月08日 20:26