清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局
2009年04月04日
おもしろ清水まちあるき 都鳥供養塔
清水といえば次郎長、このまちあるきの中でも次郎長ゆかりの場所が登場
それがこの「都鳥供養塔」だ。
説明版にはこうある
「春まだ浅き文久元年(1681)正月十五日、清水次郎長は子分の森の石松の恨みを晴らすために、遠州都田の吉兵衛(通称都鳥)をここ追分で討った。
その是非は論ずべくも無いが吉兵衛の菩提を弔う人も稀なのを哀れみ里人が供養塔を最期の地に建立して侠客の霊を慰む。
此処を訪れる諸氏は彼のために一滴の涙を注ぎ香華を供養されるならば、黄泉の都鳥もその温情に感泣するであろう。
入江まちづくり推進協議会 清水観光協会」
講談調ではあるが、史実を記しただけの内容だが、これには天田愚案の「東海遊侠伝」を下敷きにした広沢虎三の浪曲「清水次郎長伝」での有名なくだり。
森の石松が、次郎長親分の代参で金比羅さんへ行った帰り、
「江戸っ子だってねぇ」「神田の生まれよ」「そうだってねぇ、飲みねぇ飲みねぇ、寿司を食いねぇ」でお馴染みの石松三十石船。
そこから浜松まで来て、都田吉兵衛三兄弟に焔魔堂でだまし討ちにあい、おちょうへの香典を奪われる。
それを知った次郎長に狙われることになった都田吉兵衛が、次郎長一家が河豚にあたって虫の息だと聞き、逆にこの機に次郎長を襲おうと追分まで来て、人殺しは夜だとこの供養塔のある旅籠「青木屋」でのみ食いしているのを、同じ青木屋で一杯やっていた追分の三五郎が聞きつけ、「志みづ道」を走って次郎長に知らせる。
次郎長は相手が十一人ならこっちも十一人だと子分を揃え、青木屋へ。
亭主を呼び出し「この青木屋を売ってくれ」と頼むが、断られ、事情を話し、火事を起こさないように灯りを全部消し、都鳥一家を討った。
それがこの供養塔のある場所だ。
こんな話しは面白い。
Posted by クールなお at 10:54│Comments(0)
│まちづくり