清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局
2007年03月07日
教導石
静岡のお堀の前に建っていた石碑、今まで通りすぎていたものを見てみると、面白い。
「教導石」は、明治という新しい時代を迎え、「富や知識の有無、身分の垣根を超えて互いに助け合う社会を目指す」との趣旨に賛同した人たちの善意を持って明治19年に建立された、と案内文にありました。
格差が拡大していく現代と、身分社会をうち破って新しい時代への期待にあふれる明治前期の時代の空気はいかばかり違うのだろう。
「教導石」は、明治という新しい時代を迎え、「富や知識の有無、身分の垣根を超えて互いに助け合う社会を目指す」との趣旨に賛同した人たちの善意を持って明治19年に建立された、と案内文にありました。
格差が拡大していく現代と、身分社会をうち破って新しい時代への期待にあふれる明治前期の時代の空気はいかばかり違うのだろう。
また各地への里程(距離)が書かれていて、その当時の地里認識が興味深い。現在は市と呼ばれているところは、宿と表されている。東海道本線の新橋~神戸が全通したのはこの4年後なので、鉄道駅周辺よりも、宿がその地域を表す場所だった。しかし、清水は江尻宿ではなく清水町と標記されている。富士宮は大宮町、熱海は村で下田は町、修善寺は村で韮山は町、現在の感覚から行くとへぇと思うところもある。栄枯盛は世の習いなれど、地域の先人の力で今がある。私たちは未来の子孫に何を残せるのだろうか。
セヴァン・スズキ12歳の言葉に応えることができるのだろうか。
セヴァン・スズキ12歳の言葉に応えることができるのだろうか。
Posted by クールなお at 14:09│Comments(0)
│まちづくり