清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局

2008年01月13日

白村江の戦と清水

白村江の戦と清水

清水の歴史といえば、高校の教科書にも出てくる、白村江(はくすきのえ)の戦い。
唐・新羅の連合軍に責められた百済の救援のために、駿河の国で軍艦を造り、
日本国の将軍として庵原の国臣を向かわせた。しかし白村江の戦いで大敗を喫した。

白髭神社の由来、駒越、八木間などの地名の由来などおもしろい。



Posted by クールなお at 19:58│Comments(2)
この記事へのコメント
一昨年、市立図書館の書庫に仕舞われていた「額田女王」(井上靖著)を出してもらって読みました。秋野不矩美術館で行われた上村松篁の「額田王」挿絵展を見て興味を持ったからです。
大化の改新、白村江の戦い、壬申の乱にいたるストーリーで史実とはかけ離れているかもしれませんが面白い話でした。
悲惨な結末の白村江の戦いに駿河の人たちが深く関わっていたとは知りませんでした。ぜひ読んでみたいです。
Posted by エディ タチカワエディ タチカワ at 2008年01月14日 22:50
エディさん
わたしも詳しくはなかったのですが、清水の港の歴史というと663年の白村江にさかのぼるのですね。
いほはらのきみおみ「庵原の君臣」の前方後円墳が昭和の30年代に発掘されています。

また、敗れた百済人・滅亡した高句麗人などが多く帰化し、古代朝鮮や高句麗をあらわすコマ(高麗)が地名として、山梨県の巨摩、東京の狛江、清水の駒越なとして残っています。

駿河国に100座余ある白髭神社は、高句麗王若光を祀ったものでだそうで、いかに多くの朝鮮のひとがこの地に渡ってきたかがわかります。

日本史のなかで、静岡で突出して有名なのは登呂遺跡、白村江、大御所時代くらいだと思いますが、白村江はあまり知られていませんね。
Posted by クールなおクールなお at 2008年01月15日 11:24
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