清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局
2011年10月14日
熱海温泉玉手箱
熱海温泉玉手箱(オンたま)の「路地裏・昭和レトロ散歩」に参加してきました。
オンたまって何?
そこに住む人でなければ企画できないディープな「交流・体験プログラム」
だから、そこに住む人と話したり(交流)、住んでいなければわからない深ーい話を聞けたり、体験できたりするのです。
それがめっちゃ面白い!
着地型観光(観光業者などが企画する発地型ではなく、着地・目的地が主導でメニューを企画し観光客に提供する)といわれたりしたが、私は観光とはちょっと違うと思う。
観光というと、交流人口増による経済活性化事業、ビジネスととらえられ、着地型観光?儲かんないよ!なんていう人がいるが、オンたまは地域興し、まちづくりだと思う。
自分が住むところが大好きな人が、よそから来る人に自慢する、で喜んでもらうと、それで大満足。でも、持続していくためには企画運営費が取れればそれはそれでいい。人気があるプログラムは事業化していけばいい。
というわけで、熱海銀座「あたみや」さん前に集合。参加費1000円


このあたみやさんの利休まんじゅうをまずいただく。
これは、静岡新聞に「商店街の逸品」みたいなコラムがあって、以前来たときに求めたことがある。
これだって、アタミスタ(熱海人)においしいものを教えてもらうのが楽しい。

干物も美しい。老舗が軒を連ねるが、その中の一軒小沢ひもの店のご先祖が、木宮神社のご神体を拾った?そうで、神社のお祭りの時は店内のひものを片づけて神事が行われるそう。
「へぇーっ」と驚くお話。

熱海銀座の入り口に建つ和風建築「ときわぎ」
京都の宮大工をよんでつくったという建物。周囲と隔絶した雰囲気を持っている。
というのも熱海では昭和25年大火があり、まちのほとんどが焼失したなか、わずかにこの「ときわぎ」が残ったという。
そしてその昭和20年代現在のような近代建築に生まれ変わったという。これは商店街にとってはずいぶん先駆的であり、国の商店街近代化事業として共同建築がなされたのは昭和30年後半から40年代にかけてだから、当時はずいぶんモダンだったろう。

熱海に押し寄せる観光客で、全国一の売上を誇った店もあったという。
東京に支店を持つ店の跡取りに、熱海がいいか東京の店をとるかと聞いたところ、熱海の店をとったという。
そんななかに昭和の喫茶店というかフルーツパーラー(最近聞かない)か、ウィンドーにずらっとパフェ、フルーツポンチが並んでいる店がある。覗くとテーブルは「ゲーム台」でインベーダーゲーム大流行のころ、昭和50年代のものだと思う。
いやそんなものではない。もう一世代前のゲーム?遊技場が現存していたのだ。



射的にスマートボール。
うーん、ここまであるとは。すごい!これは歴史遺産として残しておかねばならない。
しかも現役なのだ。
参加者1名が射的をチョイス。あとはスマートボールに挑戦。当然若者は初体験。
ゆったりとした玉の動きで楽しい。見事穴に入ると、硝子の上にがらがらと玉が流れ落ちてくる。
私のやった台は入りが良く、じゃんじゃん出てくる。
「スマートボールの才能あるかも?」
楽しかった。
続く
オンたまって何?
そこに住む人でなければ企画できないディープな「交流・体験プログラム」
だから、そこに住む人と話したり(交流)、住んでいなければわからない深ーい話を聞けたり、体験できたりするのです。
それがめっちゃ面白い!
着地型観光(観光業者などが企画する発地型ではなく、着地・目的地が主導でメニューを企画し観光客に提供する)といわれたりしたが、私は観光とはちょっと違うと思う。
観光というと、交流人口増による経済活性化事業、ビジネスととらえられ、着地型観光?儲かんないよ!なんていう人がいるが、オンたまは地域興し、まちづくりだと思う。
自分が住むところが大好きな人が、よそから来る人に自慢する、で喜んでもらうと、それで大満足。でも、持続していくためには企画運営費が取れればそれはそれでいい。人気があるプログラムは事業化していけばいい。
というわけで、熱海銀座「あたみや」さん前に集合。参加費1000円
このあたみやさんの利休まんじゅうをまずいただく。
これは、静岡新聞に「商店街の逸品」みたいなコラムがあって、以前来たときに求めたことがある。
これだって、アタミスタ(熱海人)においしいものを教えてもらうのが楽しい。
干物も美しい。老舗が軒を連ねるが、その中の一軒小沢ひもの店のご先祖が、木宮神社のご神体を拾った?そうで、神社のお祭りの時は店内のひものを片づけて神事が行われるそう。
「へぇーっ」と驚くお話。
熱海銀座の入り口に建つ和風建築「ときわぎ」
京都の宮大工をよんでつくったという建物。周囲と隔絶した雰囲気を持っている。
というのも熱海では昭和25年大火があり、まちのほとんどが焼失したなか、わずかにこの「ときわぎ」が残ったという。
そしてその昭和20年代現在のような近代建築に生まれ変わったという。これは商店街にとってはずいぶん先駆的であり、国の商店街近代化事業として共同建築がなされたのは昭和30年後半から40年代にかけてだから、当時はずいぶんモダンだったろう。
熱海に押し寄せる観光客で、全国一の売上を誇った店もあったという。
東京に支店を持つ店の跡取りに、熱海がいいか東京の店をとるかと聞いたところ、熱海の店をとったという。
そんななかに昭和の喫茶店というかフルーツパーラー(最近聞かない)か、ウィンドーにずらっとパフェ、フルーツポンチが並んでいる店がある。覗くとテーブルは「ゲーム台」でインベーダーゲーム大流行のころ、昭和50年代のものだと思う。
いやそんなものではない。もう一世代前のゲーム?遊技場が現存していたのだ。
射的にスマートボール。
うーん、ここまであるとは。すごい!これは歴史遺産として残しておかねばならない。
しかも現役なのだ。
参加者1名が射的をチョイス。あとはスマートボールに挑戦。当然若者は初体験。
ゆったりとした玉の動きで楽しい。見事穴に入ると、硝子の上にがらがらと玉が流れ落ちてくる。
私のやった台は入りが良く、じゃんじゃん出てくる。
「スマートボールの才能あるかも?」
楽しかった。
続く
Posted by クールなお at 18:25│Comments(0)
│まちづくり