清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局
2011年12月22日
気仙沼の蔵たち
気仙沼駅から海へ向かう。かなりの勾配で下っていて、地震も津波の被害も見当たらず嘘のようだ。
昔からの街道沿いに美しい蔵が見える。
保険事務所の看板が見える。
用途変更(リノベーション)したいい例だ。
この近くまで津波は来たが、破壊的な高さまでには至らなかった。
ただがれきの山で、道路は数日歩くこともできなかったそうだ。
港に近い商店街
まちの中心街の蔵、津波で洗われた部分の漆喰がはげ落ちている。
しかし、前部分には基礎しか残っておらず、左後ろに見える建物は津波でもがれて破壊されている。
こうしてみると蔵は、火災だけでなく津波にも強い、堅固な建物だということがわかる。
こちらは石蔵。
前にあった建物が破壊し尽くされ、一番裏(後ろ)にあった蔵だけが、ぽつんと生き残った。
しかしその屋根部分が壊れているのは、津波がそこを超える高さはゆうにあったということだ。
前の敷地は陥没のため水がはけず、緑のこけが生えている。
この二棟も、敷地奥にあり残ったもの。
前にあった建物は取り払われ、新しい基礎が打たれている。
こうしてみると、水運や海産物の集散地として栄えた気仙沼の繁栄が垣間見られる。
蔵のまち、といってもいいくらい多くの蔵がある。
このように災害に耐え、歴史の生き証人としてまちにある、存在している蔵は単に建物というには、
あまりにもいとおしい存在と言えないだろうか。
頑固だけど頼りになる親父、いい表情を見せる老父、堂々とした紳士、まちの顔役、
風雪に耐えた蔵たちは、
蒸気機関車を人間にたとえたように、私には生きて見える。
その土地土地、時代により異なる個性。
均質化なんていわせない、地域のDNAが蔵だと思う。
石巻の蔵もどうなったのだろうか。
風景が一変すると、つまり見慣れたふるさとの風景を失うと、人は情緒不安に陥るという。
蔵は残って、私たちを支える存在の一つでもある、と思うのです。
Posted by クールなお at 19:18│Comments(0)
│まちづくり