清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局
2007年04月05日
恋塚
清水の銀座の江浄寺でこんな塚をみつけました。その説明文です。
今を去る四百年の昔、徳川幕府初期の寛永元年(1624年)5月24日 九州平戸松浦藩藩主、松浦肥前守隆信の弟松浦源太郎成清(しげきよ)は、この江浄寺の一室で切腹し悲運の最後を遂げました。
成清と婚約を交わした春姫は、参勤交代の為江戸にいた成清を平戸で待っていました。ところが、兄隆信が春姫を側室にすると聞いた成清は禁を犯して江戸を出奔し、江尻宿でようやく兄の行列に追いつきました。しかし、無断で江戸を抜け出した公儀への罪は重くけじめを付けなければ松浦家六万石は取り潰されます。当時、江戸には有力諸大名の謀反の噂が広がり、改易取り潰しが相次いでいました。家老達の藩を守ることを第一とする無情な決定により成清は25歳の若さで切腹させられることになりました。
成清は名門松浦家の安泰の為に自ら命を捨てましたが、死後は「我が墓はこの寺に建てよ、それに願をかける者があれば、その想いをとげさせてやろう」と遺言しました。
果てた後は、この世で結ばれぬ人々の為に浄土で縁結びの霊魂となることを誓ったのでした。以来、成清公のお墓は縁結びの恋塚と呼ばれてきましたが、長年月の間に所在が不明となってしまいました。時は流れこのたび平成17年、有志の方々によって縁結びの恋塚が復元建立され、悲恋の物語が史実として皆様にご紹介されることになりました。成清公の御霊の成仏を心からお祈り申し上げます。合掌
果ててなお 想い伝えんいつの世も さつき眼に染む 永遠の御寺に 三十五世 浄誉
Posted by クールなお at 18:37│Comments(0)
│our town
この記事へのトラックバック
結婚相談所と結婚情報サービスって違うのですね。
結婚相談【コレイイネ】at 2007年06月14日 12:54