清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局
2012年10月14日
駿府城石垣
駿府城大手門跡の石垣。
一部が野面(のづら)積みでその周辺は切り込み接ぎ(きりこみはぎ)の石垣が囲んでいる。
のずら積みは鎌倉時代から、戦国時代に用いられた積み方で、切り込み接ぎは江戸時代初期から用いられたとある。
家康が築城して居城としたのが1585年。戦国時代後期であるので、のずら積みの部分はその創建当時のものかまたはそれ以前の武田、今川時代の名残であるのか?
桶狭間の戦い(1560)で今川義元が討たれた後、武田信玄は三次にわたる駿河侵攻(1568-69)で駿河を支配下に置き、今川館は「壊却」され江尻城を本拠に穴山氏が領国支配を行った。しかし1573年の信玄の死去、長篠の戦いでの敗北(1575)により滅亡に向かい、穴山梅雪は1582年家康・信長同盟に江尻城を明け渡した。(wikipedia)
とあるので、今川館は跡形もなく、武田は江尻城に拠点を置いたので、今川・武田ではなく、まだ天下の行方も定まらない戦国時代の家康築城時の野面積みで、天下平定後の天下普請に切り込み接ぎが作られたと思われる。
野面積みをなぜ残したかは分からない。
歩みをそこから城代橋に進めると、こんな石垣がある。
明らかに写真中央部分は修復したものだと見て取れるが、ブロックのような人工石のように見える。
全くみすぼらしい補修の跡だ。
たとえば終戦間近の、昭和東南海地震などの被害で物資不足の折の修復なのではないだろうか。
駿府城の石垣には↓が詳しいが、この石垣には言及されていない。
ともかくつぎはぎだらけの駿府城石垣でした。
http://www.d1.dion.ne.jp/~mthouse/page1464.htm
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Posted by クールなお at 13:52│Comments(2)
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この記事へのコメント
少々前の記事に対するコメントで失礼いたします。
ブロックのようにみすぼらしい修復は、外堀だけでなく中堀の二ノ丸橋付近にもたくさんありますが、すべて60~80年代の集中豪雨により壊れたものです。
当時は、市当局に文化財としての意識が非常に希薄で、単にやっつけ仕事のように修復した結果、醜い姿をさらしているのです。
ブロックのようにみすぼらしい修復は、外堀だけでなく中堀の二ノ丸橋付近にもたくさんありますが、すべて60~80年代の集中豪雨により壊れたものです。
当時は、市当局に文化財としての意識が非常に希薄で、単にやっつけ仕事のように修復した結果、醜い姿をさらしているのです。
Posted by あおい君 at 2012年12月19日 07:00
>あおい君 さま
60~80年代といえば、高度成長時代。
文化財への目線がなかった!
後世に恥ずかしい姿をさらけ出しています。
今あるものを大事に、ということで
何でも壊して作る再開発は
トンネルが落ちる時代には
そろそろ終わりが近づいているのかもしれません。
60~80年代といえば、高度成長時代。
文化財への目線がなかった!
後世に恥ずかしい姿をさらけ出しています。
今あるものを大事に、ということで
何でも壊して作る再開発は
トンネルが落ちる時代には
そろそろ終わりが近づいているのかもしれません。
Posted by クールなお at 2012年12月19日 10:59