清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局
2010年01月16日
武田武将と家康の戦い
母の実家のお寺「海長寺」に法事で出かけると、本堂左に椿の木があり立て札がある。
朱印の椿
天正10年(1582)12月のこと 徳川家康公、武田方武将今福丹波守に追われ 当山椿樹の陰に逃れ一命を止めれられる この故事により朱印を受けこの名となる。
第十二代日應上人の御時也 立札寄進 遠藤稚三殿
またしても、武田武将今福丹波守と家康との戦いの伝承である。
家康を討ちとり逃した丹波守ら主従7人は村松で、その責を取って自刃し、それを村人が七代様と呼んで供養したというのが「杉原山虚空蔵堂」の説明文にあり、話がつながる。
しかし、今福丹波守は城代であった久能城を徳川方に攻められ籠城の後、天正10年2月(10月)城を明け渡し、甲州に去ったという説もある。
いずれにせよ、戦国の世 信長が本能寺の変で討たれた年、この地でも激しい命のやりとりがあったことは間違いがない。
Posted by クールなお at 18:04│Comments(0)
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