清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局

2011年09月09日

スルガはHeaven(極楽)

久しぶりに訪ねてきたインドネシア人の友人に、かねてからのうろ覚えを確かめてみた。
インドネシア語で「スルガ」とはどういう意味かと聞くと、彼は「Heaven」と即答した。

そうか駿河は楽園、Heaven on earth だったんだ。
南方から渡来した日本人の祖先となった人たちが、
この地を
「スルガ!(Heaven)」と叫んだ。

「天国よいとこ一度はおいで、酒はうまいし、ねぇちゃんはきれい」
フォーク・クルセダーズより遙か大昔、南方系先祖はいっていた。
スルガ!=天国だ!

明治30年代、日本の思想界をリードした高山樗牛は

「駿州清水港附近龍華寺と申すは、三保の松原より富士山への眺望、本邦無比と存候」
と父への手紙にここに墓地をつくるように頼んだ。

彼は病の床にあったが、
「鎌倉より、此の秋には清見潟へ移り度と心懸け候ひしが、前申す様の健康の為、転居は先づ見合わせ申候」

「如何にも、君と海浜の高楼で快談を試みたい。僕は、一度興津に、君と一処に遊びたいと思う。酒は絶って居るが、一夜君と大いに飲むで、狂癲するまで、満腹の磊塊を投げ出し、其夜直に血一斗を吐いて死にたいと思う」
このように親友の姉崎正治に手紙を送っている。

樗牛にとっては、この地がスルガ=Heaven on earth だったのだ。


大正時代
三保の貝島に、国柱会の田中智学という人が「最勝閣」という御殿を建て本部とした。
そこには北原白秋や宮沢賢治、さきの姉崎正治などが訪れた。
日蓮主義による、最終的には世界統一をとなえた。

なぜ三保に本部をたてたかというと、
日蓮が三大秘法鈔で「霊山浄土に似たらん最勝の地」と書いている場所こそが三保だと田中智学が判断したからだ。
田中智学も、霊山浄土=極楽=スルガ Heaven on earth をこの地に見たのだった。

万葉の時代からうたわれた蓬莱山の富士と、海に浮かぶ蓬莱島の三保。
スルガはHeaven(極楽)

だから清水はスルガ=天国 Heaven on earth なんだ。

長々と書いてきたのは、まちづくりの基本はまちに誇りを持つこと、愛着を持つこと。
これさえあれば、まちづくりの力とアイディアはわき出てくると思うからです。

※引用は8月27日龍津寺で行われた「新佛教研究会」夏の勉強会の資料に依ります。



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Posted by クールなお at 11:25│Comments(6)まちづくり
この記事へのコメント
私がHeavenの単語を知った(意識した?)のはクラプトンの”Tears In Heaven”です今もよく聴いています
この曲をはじめて聴いたのが誰かの追悼番組だったような

スルガ=天国とは
Posted by 濱のマスター濱のマスター at 2011年09月09日 21:33
>濱のマスター
住めば都とはいいますが、
スルガは本当に天国かもしれません。

祖母の時代、我が家は袖師という三保をつくった砂が堆積した海岸にいたのですが、
「鰯の大群が押し寄せ、バケツで取りに行った。本当に天国のようなところ(時代)だった」と語っていました。

地名の由来にはよくアイヌ語が出てきますが、縄文時代からの海岸線には、インドネシア語であっても不思議はないと思います。
Posted by クールなおクールなお at 2011年09月10日 11:49
先日は龍津寺までお越しいただき、どうもありがとうございました。

親戚一同がうしろに坐っていたので、僕は学芸会、浦島太郎の亀役の気分でしたね。

ところで、なおさんのおばあさんは袖師ですか?玉川楼のご主人も袖師でした(いや、僕もそうですが)。

講演会の連中は、リバーサイドイン玉川に泊まったのですが(朝食が美味しくて好評)、智学や樗牛の話をしたら、ご主人喜んでましたっけ。なかなか、語り継ぐ若い人がいないのかなあ。なんだか、もったいない気もします。

前回の講演会のお二人、智学と姉崎研究ではそれぞれ日本でトップの方でした。彼らを毎年呼んでお話してもらえるような仕組みでも出来ないですかねえ。

新佛教研究会は次は12月10日に東京の本郷、求道会館で講演会です。武田五一設計の明治の和洋折衷の説教場で、豪華ゲストをお招きしての会です。時間がありましたらどうぞ。
Posted by 真丹後 at 2011年09月12日 20:34
>真丹後さん

うちの祖父はカナダのバンクーバー出稼ぎに行き、鉄道建設や漁師・猟師をしていて、祖母とは写真結婚し、祖母は亭主のいない婚家に住み、やがて渡米。
太平洋を7度往復したといってました。
帰国後住んだのが袖師で、現在のエンチョーのすぐ東隣あたりで、釣り船屋をしていたそうです。
戦後、土地があった真砂町で私の父が商売をはじめたのでした。

玉川楼のご主人も郷土史には大変詳しく、「清水こぼれ話」というHPはわたくしもたびたび拝見させて頂いています。

田中智学、姉崎正治のことは清水ではほとんど知られていません。
残念なことです。

樗牛の痕跡もあちこちにあるのですが、関心を持って語る人は少ないです。

清水の大きな文化遺産として、人々が語れるようになるといいですね。
Posted by クールなおクールなお at 2011年09月13日 12:25
こんにちは。

 びーべばいと申します。
 清水に生まれ育ち、半世紀を過ぎたというのに 今まで全くすれ違いもしなかった歴史に驚いています。
 今の清水をどう誇りを持つのか、厳しい状況ですが このような事は子供たちにも聞かせてあげたいと心から思いました。
ありがとうございました。
Posted by びーべばいびーべばい at 2011年09月16日 12:09
>びーべばいさん
わたくしも長らく郷土の歴史については無知でしたが、
年を重ね興味を持つようになりました。

清水港は、日本書紀に登場、
百済救援に廬原君が清水から向かった白村江の戦いなど、
よその土地のことのようにしか思っていませんでした。

子どもたちには、このような話はぜひ伝えたいものです。
Posted by クールなおクールなお at 2011年09月16日 18:05
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スルガはHeaven(極楽)
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