清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局

2012年03月10日

ぶら門前ツアー(浅間通り商店街)

地域資源をいかした商店街ツアーということで、紹介が静岡新聞に載っていたので申し込む。
ぶら門前ツアー(浅間通り商店街)
雨の中、朝10時に集合、出発。
浅間神社は2000年前からあるそうだし、今川徳川時代から門前町として、また安部の市として交易があった歴史あるまち。

何かない方がおかしいし、街歩きで地元の人に案内されればおもしろいはず。
そしてそれが活かされれば、先週いった伊勢のおかげ横丁とまではいかないけど、賑わい創出の一つにはなると思う。

商店街はとにかく変化に適応していない。
普通の生活をしていれば、商店街でものを買う理由が見つからない。

それは、公然たる事実なのに気がついていないのは商店主だけ。

昔のような賑わいが再び戻ろうはずがないのに、60年代から80年代の時代を生きて、その時代の思考から脱け切れていない人が役員で活性化事業などを行っているのが商店街の悲劇だ。

しかし今回のこのツアーは、定員に達しオーバーした分2週後にもう一回という話もあったようだ。
ここに今の人が商店街、まちに何を求めているかがわかるはずだ。

歴史、文化、人、交流。こうしたものが得られるツアーは人気だ。
まちが持つこういう強みを活かし、その上でなければ商店街は復活しない。

おまけしまっせ、くれてやりまっせ、つれていきまっせ!
こんなことは望んでいない。(くれりゃもらうけど)

ぶら門前ツアー(浅間通り商店街)
静岡おでんは有名になったけど、居酒屋さん系でなく人気の「おがわ」

ぶら門前ツアー(浅間通り商店街)ぶら門前ツアー(浅間通り商店街)
このはんこ屋さんは、もとは版木やさんだったという。
清水港から輸出するお茶の箱に貼るラベルを刷る版木をつくっていたという。
「木を彫る」ということからはんこ屋さんになったという。なるほど!

ぶら門前ツアー(浅間通り商店街)
昨年末をもって閉店した呉服屋さんの奥には立派な蔵が鎮座している。
はやりのマンション経営などにのりだせば、何のためらいもなく壊されてしまうだろう。

本来はこういう歴史遺産がまちの持つ他ではまねできない資源で、これらを用途変更したり曳き屋をして通りにもってくれば、まちが輝く。
つぶして、マンションにするとますますまちがつまらなくなる。

ぶら門前ツアー(浅間通り商店街)
加藤金物店。
おひつを売っている。
その向かい側、写真左手には「めんぱ」を置いている。
一度ゆっくり店内を探検させてもらいたい。
たしか昭和11年から営業していると聞いた。
茶町の金物屋の番頭をしていて、独立したものだという。

ぶら門前ツアー(浅間通り商店街)
文久3年開店のお酒の小売りをしていて、醤油製造をしていた店。
幕末に行われた浅間さんの造営が終わったのが文久4年だそうで、その1年前に百八十両でこの土地を買ったという証文の写し。

ぶら門前ツアー(浅間通り商店街)
大正末から昭和初期の宮ヶ崎消防団の火消し装束。

こんなのがごろごろしているところが、商店街ツアーのおもしろいところ。

商店街を脱けた先の浅間神社にこの後いったのだが、そこは歴史の宝庫。
これらの組み合わせで、商店街は郊外大型店にない、これからの時代に求められるものを提供していくべきだと思います。

その意味で今回のツアーは勉強になりました。



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Posted by クールなお at 18:18│Comments(2)まちづくり
この記事へのコメント
ご無沙汰してます。田舎のパン屋です。

この記事のなおさんのおっしゃる通りだと思います。

地域に根付いた強みを活かした街づくりでなければと思います。

二年ほど前に藤枝駅、北口駅前商店街から現在の場所に
引っ越してきました。

それまで借りていた駐車場が借りれなくなり、
商店街の中といえど、すぐ近くに車が止められなくては
お客様にご迷惑がかかるばかりで、
駐車違反の切符書き始める交通指導員や婦警さんに
店から飛び出しての、懇願の連続に耐えられず、
駐車場付きのところに来た次第です。

北口商店街の町興しセミナーにも
何度も参加してきましたが
やる気のある若い人はいても
その人たちは途中参加の人達ばかりで
意見をまとめる人は古い商店主で、
家賃払うより、家賃を収入にするひとばかり、

ずっと先を見据えた街づくりができようはずもないように見えました。

街の再建というと
すぐに、新しい大きな施設を作ればいいという傾向が多いような
気がしてなりません。

いつも思うのですが、
原宿に同潤会アパートという古いアパートがあって
ひとつひとつの部屋が
アトリエやブティックに使われて、
とても個性的な場所になっていて面白く、人気もあったのですが
結局は取り壊されて、大型複合商業施設になってしまいました。

それができたときは新しくて、オシャレで人は集めることはできても
新しいということは、他の場所にもっと新しいものができれば
それは、そのままではどんどん古くなっていくということで

日本中の商店街がその繰り返しで
どこも均一化されていってしまうのではないかと
心配になってしまいます。

とても長くなって申し訳ありません。

商店街から抜けてみて
商店街の強みや弱みが少し見えた気がしたパン屋でした。
Posted by レザンレザンレザンレザン at 2012年04月30日 15:14
>レザンレザンさん
こんにちは。

昨年商店街を脱けた(閉店した)わたしの30年来の友人は、
商店街を離れると、商店街は全く縁の無い、行く必要の無いところになった、といっていました。

つまり社会全体から見ると「必要の無い」場所だというのです。

ものを売るだけの商店が軒を連ねる商店街はいらない。

しかし、ヒトは社会的動物なので、群れる・ツナがる・マジわる「場」が必要です。
特にモノの流通という機能が商店街・マチから失われたし市、何とかしようというのがまちづくりだと思います。

が、しかし、未だにそのことを理解せず、古い商店主が行う経済活動が商店街活動ととらえられていることが、マチの悲劇です。

また、レザンレザンさんがおっしゃるように、再開発や大型施設でマチがよみがえるかのように考える人が、・・・考えるというよりか思考停止しているヒトが行政などにいることが問題です。

藤枝駅南口もその例の一つじゃないかと思います。

同潤会までいかなくても、清水駅前にも「ミナトマーケット」という昭和32年に建てられた1階店舗の4階建てアパートがありました。共同の洗い場があったりいい味出していたのですが、取り壊されマンションになってしまいました。
古いモノは駄目、新しいものはいいという物指ししかない人たちの判断です。

あるモノさがし、よそとは違う地元で光るモノ探しですよね。
何をヒトが求めているか、ピントを合わせろよ!
って言いたいですね!

私もつい長くなりました。
Posted by クールなおクールなお at 2012年05月01日 12:06
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