清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局
2009年08月16日
焼津の荒祭り(4)
焼津の荒祭り、初日にぶらっと何もわからずに訪れ、焼津浜通りのぬかや齋藤商店、ぬかP夫妻に案内され、あたかも焼津の一員のごとく、行列に加わり神社での神事の一片をかいま見た。
どっぷりお祭に魅せられ、終電一本前で帰宅。
初日は休みの日で、それなりに用事を済ませ、お祭も見て充実した一日であった。
そうして、今日も午後になり一段落つくと、どうも荒祭りが気になる。
来年のカレンダーまで見てみるが、休みの日は外れている。
ということで、2時59分清水発で焼津に向かう。
駅に降り立つと、昨日同様駅前には祭りの「ま」の字もない。
「東海一の荒祭り」といわれるが、これはいわゆるイベントではなく、焼津の古い地区の人たちの祭りであり、観光用にするつもりもなく、純粋に神様を迎える「祭り」であると感じた。
荒い、とは傍若無人・無礼講といった意味ではなく、素朴・純粋・まっさらなという意味であるという。
実際、祭りの現場に行き着くと、そこは95%居合わせるほとんどの人が白装束の参加者なのだ。
あとは住民と親戚、それにわずかに自分たちのように見に来る人がいるだけだ。
小泉八雲、ラフカディオ・ハーンの滞在した乙吉さんの家跡近くの辻、小路で行列を見つける。
中学生くらいの男の子が、高下駄に裃に笠をかぶって、篠笛を吹いている。
これが、この夏の暑さ、神輿が練る荒祭りと称される祭りのなかで、じつに幽玄の世界を作りだしている。
お囃子といった調子のいいものではない。
雅楽、能舞台といったところで演奏される風な優美な楽曲だ。
二人が向き合い息を合わせ吹く。これも練習を重ねてきたことが伺えるし、単に演奏しているというのではなく、神様をお迎えし、場を浄め、行列を先導していく、さまざまな意味合いをこめた演奏だ。
やがてそれぞれ前の者の帯を握って二列になった若者の先頭が、笹竹を地面に打ち付け「アンエートン」のかけ声をかけ始める。そしてその列から、木彫りのままの木地そのままの獅子頭が掲げられ走り出し、また戻ってくる。
次は神輿がやってくる。それこそ荒祭りの言葉がうかがえる勇壮なものだ。
相当な重さと思えるが、その割には担ぎ棒が前後左右に長くなく、白ひもが結わえられているのが特徴だ。
担ぎ手には相当の負担がかる。傾くことも何度かあった。
しかし、全身全霊、全力を出しきる、おのが力以上のものをふりしぼる。
これが担がれた神様の尊厳をより高めることでもあり、喜ばせることで、神と人とが一体になり、一つ時を過ごすという純粋な祭りのあり方を感じさせる。
そんなほとんどの人が白装束、残りの半分が焼津魚河岸シャツのなかに
清水シャツを発見!!
この辻の一軒から猿田彦を努める少年が出発する。
高天原から天孫降臨する際に先導役をした神様である。
この行列の先導役でもあるのだろうか。
浜通りを、御神子(いちこ)が、肩に担がれてくる。
ほんとうに小さい女の子なのに、神様に使える役目をしっかりと自任し務めている。
神々しささえある、これが我が子だったらきっと涙が出るだろう。
そしてこれは昨日は見かけなかったが、馬に乗り、冠をかぶった御供捧(おんくささげ)という少女が登場。
休憩かいっとき馬から下りた時も、地面にはおろさず肩に担がれていて、奉仕者が、彼女の足をマッサージし、日傘をさし、団扇で風を送る。
神様への、饗応に奉仕する役目なのだろうか。
そして、流鏑馬(やぶさめ)、これも馬に乗りりりしい少年が努めている。
お笛・獅子頭・神輿・猿田彦・御神子・御供捧・流鏑馬(私が見た順番)とさまざまな神役とそれぞれの神事、行列。
変化に富んでそれぞれに興味深い。
こんなお祭が残っているのは驚くべきことではないだろうか。
繰り返すが、ここに居合わす人の95%が白装束の祭りの当事者、あと住民で占めている。
ほとんどの祭りが、観光化され、交流人口の増加など経済効果をうたうのとは対照的に、焼津の衆はそんなことに頓着ない。自分たちの地区の祭りを、祭り本来の姿でそのまま保っている。
祭りの本来とは、自分たちの地の神さまを「祀る・まつる」ことだ。社殿で、頭を垂れ瞑目している姿にそれを感じた。
ほんとうに素晴らしいと思う。
で通りには、疲れ果てた白装束がごろごろ、こんな風景はよそでは見られないだろう。
祭り一色の浜通りであった。
焼津の荒祭り(番外編)
どっぷりお祭に魅せられ、終電一本前で帰宅。
初日は休みの日で、それなりに用事を済ませ、お祭も見て充実した一日であった。
そうして、今日も午後になり一段落つくと、どうも荒祭りが気になる。
来年のカレンダーまで見てみるが、休みの日は外れている。
ということで、2時59分清水発で焼津に向かう。
駅に降り立つと、昨日同様駅前には祭りの「ま」の字もない。
「東海一の荒祭り」といわれるが、これはいわゆるイベントではなく、焼津の古い地区の人たちの祭りであり、観光用にするつもりもなく、純粋に神様を迎える「祭り」であると感じた。
荒い、とは傍若無人・無礼講といった意味ではなく、素朴・純粋・まっさらなという意味であるという。
実際、祭りの現場に行き着くと、そこは95%居合わせるほとんどの人が白装束の参加者なのだ。
あとは住民と親戚、それにわずかに自分たちのように見に来る人がいるだけだ。
小泉八雲、ラフカディオ・ハーンの滞在した乙吉さんの家跡近くの辻、小路で行列を見つける。
中学生くらいの男の子が、高下駄に裃に笠をかぶって、篠笛を吹いている。
これが、この夏の暑さ、神輿が練る荒祭りと称される祭りのなかで、じつに幽玄の世界を作りだしている。
お囃子といった調子のいいものではない。
雅楽、能舞台といったところで演奏される風な優美な楽曲だ。
二人が向き合い息を合わせ吹く。これも練習を重ねてきたことが伺えるし、単に演奏しているというのではなく、神様をお迎えし、場を浄め、行列を先導していく、さまざまな意味合いをこめた演奏だ。
やがてそれぞれ前の者の帯を握って二列になった若者の先頭が、笹竹を地面に打ち付け「アンエートン」のかけ声をかけ始める。そしてその列から、木彫りのままの木地そのままの獅子頭が掲げられ走り出し、また戻ってくる。
次は神輿がやってくる。それこそ荒祭りの言葉がうかがえる勇壮なものだ。
相当な重さと思えるが、その割には担ぎ棒が前後左右に長くなく、白ひもが結わえられているのが特徴だ。
担ぎ手には相当の負担がかる。傾くことも何度かあった。
しかし、全身全霊、全力を出しきる、おのが力以上のものをふりしぼる。
これが担がれた神様の尊厳をより高めることでもあり、喜ばせることで、神と人とが一体になり、一つ時を過ごすという純粋な祭りのあり方を感じさせる。
そんなほとんどの人が白装束、残りの半分が焼津魚河岸シャツのなかに
清水シャツを発見!!
この辻の一軒から猿田彦を努める少年が出発する。
高天原から天孫降臨する際に先導役をした神様である。
この行列の先導役でもあるのだろうか。
浜通りを、御神子(いちこ)が、肩に担がれてくる。
ほんとうに小さい女の子なのに、神様に使える役目をしっかりと自任し務めている。
神々しささえある、これが我が子だったらきっと涙が出るだろう。
そしてこれは昨日は見かけなかったが、馬に乗り、冠をかぶった御供捧(おんくささげ)という少女が登場。
休憩かいっとき馬から下りた時も、地面にはおろさず肩に担がれていて、奉仕者が、彼女の足をマッサージし、日傘をさし、団扇で風を送る。
神様への、饗応に奉仕する役目なのだろうか。
そして、流鏑馬(やぶさめ)、これも馬に乗りりりしい少年が努めている。
お笛・獅子頭・神輿・猿田彦・御神子・御供捧・流鏑馬(私が見た順番)とさまざまな神役とそれぞれの神事、行列。
変化に富んでそれぞれに興味深い。
こんなお祭が残っているのは驚くべきことではないだろうか。
繰り返すが、ここに居合わす人の95%が白装束の祭りの当事者、あと住民で占めている。
ほとんどの祭りが、観光化され、交流人口の増加など経済効果をうたうのとは対照的に、焼津の衆はそんなことに頓着ない。自分たちの地区の祭りを、祭り本来の姿でそのまま保っている。
祭りの本来とは、自分たちの地の神さまを「祀る・まつる」ことだ。社殿で、頭を垂れ瞑目している姿にそれを感じた。
ほんとうに素晴らしいと思う。
で通りには、疲れ果てた白装束がごろごろ、こんな風景はよそでは見られないだろう。
祭り一色の浜通りであった。
焼津の荒祭り(番外編)
Posted by クールなお at 14:44│Comments(0)
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