清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局
2009年08月17日
焼津の荒祭り(番外編)
焼津の街で見つけたいくつかのもの。
浜通りに並行する堀川に面し、蔵が並ぶ。
奧にみえる石蔵は、洋館ふうのつくりだ。いつぐらいの年代のものだろうか。
手前の蔵も、かたちから見るとやはり石蔵で表面を土蔵ふうに塗り上げてあるようだ。
まちなかにある土蔵、古い町には時代を感じさせる建物がいくつかあるが、蔵は頑丈なつくりから残されている。
しかも、その土地、土地によって材料やデザインが異なり、作られた時代によっても特徴が見られる。
今や新たに、このような蔵が造られることはないので、大事なその土地の生き証人となる。
川沿いの蔵のある景色は、この焼津の財産だろう。
左:ぶらぶらと焼津のまちを歩くと、表についたてを置き壺を飾ってある家がある。
見世の間、奥の間、客間・坪庭・台所・蔵・・・等という町屋のつくりでの、見世の間を、商売(タバコやさん)をやめてもこのようにしつらえておいてある。
通りと家のあいだの空間を、半公共的に使う。世間と自分との接点となる場所。
縁側もそうだった。外から覗いて人がいれば寄っていく。縁側に腰掛けて話し込む、お茶の一杯もいただく。
そういえば静岡の山間地大間での縁側カフェ、行ってみたい。
右:港らしい「帆屋」を見つける。おもな推進力が「風」であり、水運が主たる運搬手段だった時代からの港ならではの産業。
現代では何を主に扱っているのだろう。清水ではテント・シート屋さんが多い。
ワイヤロープのようなものが多く置いてあったようだったが、帆綱からそのような関係の仕事なのだろうか。
浜通りを海の方向へ行って突き当たったところにある神社、「船玉浦神社」
これはこの焼津の原点のような神社で海上交通安全、漁師の守り神といった神社でロケーションもそのとおりの処になるのだが、何かひとりぽつんとあるようでまわりに境内もほとんどなく、海と道に挟まれさみしげな佇まいだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/pineroad184/archive/2009/1/16
船玉浦神社に突き当たり、左に折れていけば焼津駅にたどり着く。
左側に伝統的な家屋を見つける。なにやら雨戸も立てられていて、空き家のような様子。このような家屋が古いものとして壊されることの無いように願う。素晴らしい建築だと思う。まわりを見回しても、かつてはこのような家ばかりだってのだろうが、他には一軒もない。貴重な建物ではないだろうか。
右側には、このような食料品店が健在で、小学生の男の子がお使いか、買い物をしている。
こんな商店が残っていることも焼津の良さだと思う。
そのすぐそばに神社がある。
鳥居の参道の幅だけ残し、左側にコミュニティセンター、右側に民家。
青木神社とあり、よさげな雰囲気、神社は古来よりその土地のパワースポットに建てられている。
聖なる場所なのだ。
それを道路に面した表口を、建物でふさいでしまっているとは、神様も窮屈な思いをしていることだろう。
誰がいつ、こんなことをしてしまったのだろう。誰も反対しなかったのだろうか。
というのはなかの神社を見てより強く思った。
素晴らしい神社だった。
日本の神社の美しい簡素さを持った素晴らしいお社があった。
唐破風などの、重々しさや華麗さはなく、質素な屋根構えが拝殿、主殿と重なりをずらしてある。
何という様式だろうか珍しい。
参道には、結界を示す石橋の跡が残っている。
昔は左右に池などがあったのではないのだろうか。
社の右側に回れば、立派な松が配されており、かいま見える奥殿も神さびたたたずまいであった。
なによりも、その空間がその地の聖なる空間、氣をあふれさせる場所、パワースポットの気配をさせていた。
お参りをさせてもらったが、その鈴は「松永帆屋」の奉納によるものだった。
焼津という今まで縁遠く、漁師町だというくらいの認識しかなかったのだが、ブログを通じて、ぬかP・ぬか奴・浜のマスターなどと知り合いになり、名前の由来の通り古代日本の精神を脈々と受け継ぎ、まちを愛し、素朴に、まっさらな人たちであることを知った。そしてまた、高い文化を持ったまちだとも分かった。平和を愛するまちだしね。
この祭りを通して、焼津が好きになりました。
浜通りに並行する堀川に面し、蔵が並ぶ。
奧にみえる石蔵は、洋館ふうのつくりだ。いつぐらいの年代のものだろうか。
手前の蔵も、かたちから見るとやはり石蔵で表面を土蔵ふうに塗り上げてあるようだ。
まちなかにある土蔵、古い町には時代を感じさせる建物がいくつかあるが、蔵は頑丈なつくりから残されている。
しかも、その土地、土地によって材料やデザインが異なり、作られた時代によっても特徴が見られる。
今や新たに、このような蔵が造られることはないので、大事なその土地の生き証人となる。
川沿いの蔵のある景色は、この焼津の財産だろう。
左:ぶらぶらと焼津のまちを歩くと、表についたてを置き壺を飾ってある家がある。
見世の間、奥の間、客間・坪庭・台所・蔵・・・等という町屋のつくりでの、見世の間を、商売(タバコやさん)をやめてもこのようにしつらえておいてある。
通りと家のあいだの空間を、半公共的に使う。世間と自分との接点となる場所。
縁側もそうだった。外から覗いて人がいれば寄っていく。縁側に腰掛けて話し込む、お茶の一杯もいただく。
そういえば静岡の山間地大間での縁側カフェ、行ってみたい。
右:港らしい「帆屋」を見つける。おもな推進力が「風」であり、水運が主たる運搬手段だった時代からの港ならではの産業。
現代では何を主に扱っているのだろう。清水ではテント・シート屋さんが多い。
ワイヤロープのようなものが多く置いてあったようだったが、帆綱からそのような関係の仕事なのだろうか。
浜通りを海の方向へ行って突き当たったところにある神社、「船玉浦神社」
これはこの焼津の原点のような神社で海上交通安全、漁師の守り神といった神社でロケーションもそのとおりの処になるのだが、何かひとりぽつんとあるようでまわりに境内もほとんどなく、海と道に挟まれさみしげな佇まいだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/pineroad184/archive/2009/1/16
船玉浦神社に突き当たり、左に折れていけば焼津駅にたどり着く。
左側に伝統的な家屋を見つける。なにやら雨戸も立てられていて、空き家のような様子。このような家屋が古いものとして壊されることの無いように願う。素晴らしい建築だと思う。まわりを見回しても、かつてはこのような家ばかりだってのだろうが、他には一軒もない。貴重な建物ではないだろうか。
右側には、このような食料品店が健在で、小学生の男の子がお使いか、買い物をしている。
こんな商店が残っていることも焼津の良さだと思う。
そのすぐそばに神社がある。
鳥居の参道の幅だけ残し、左側にコミュニティセンター、右側に民家。
青木神社とあり、よさげな雰囲気、神社は古来よりその土地のパワースポットに建てられている。
聖なる場所なのだ。
それを道路に面した表口を、建物でふさいでしまっているとは、神様も窮屈な思いをしていることだろう。
誰がいつ、こんなことをしてしまったのだろう。誰も反対しなかったのだろうか。
というのはなかの神社を見てより強く思った。
素晴らしい神社だった。
日本の神社の美しい簡素さを持った素晴らしいお社があった。
唐破風などの、重々しさや華麗さはなく、質素な屋根構えが拝殿、主殿と重なりをずらしてある。
何という様式だろうか珍しい。
参道には、結界を示す石橋の跡が残っている。
昔は左右に池などがあったのではないのだろうか。
社の右側に回れば、立派な松が配されており、かいま見える奥殿も神さびたたたずまいであった。
なによりも、その空間がその地の聖なる空間、氣をあふれさせる場所、パワースポットの気配をさせていた。
お参りをさせてもらったが、その鈴は「松永帆屋」の奉納によるものだった。
焼津という今まで縁遠く、漁師町だというくらいの認識しかなかったのだが、ブログを通じて、ぬかP・ぬか奴・浜のマスターなどと知り合いになり、名前の由来の通り古代日本の精神を脈々と受け継ぎ、まちを愛し、素朴に、まっさらな人たちであることを知った。そしてまた、高い文化を持ったまちだとも分かった。平和を愛するまちだしね。
この祭りを通して、焼津が好きになりました。
Posted by クールなお at 12:00│Comments(4)
│community
この記事へのコメント
なおさん お久しぶりです。
青木神社のすぐ近くに生まれ育ったので
なつかしさに 見入ってしまいました。
左に神社を抜けたところに
保育園があり そこに通っていました。
神社の境内は格好の
チャンバラごっこの時代劇セットで
よく暗くなるまで遊んでいました。
いやー
懐かしいです
ありがとうございました。
久しぶりに
行きたくなってしまいました。
青木神社のすぐ近くに生まれ育ったので
なつかしさに 見入ってしまいました。
左に神社を抜けたところに
保育園があり そこに通っていました。
神社の境内は格好の
チャンバラごっこの時代劇セットで
よく暗くなるまで遊んでいました。
いやー
懐かしいです
ありがとうございました。
久しぶりに
行きたくなってしまいました。
Posted by レザンレザン at 2009年08月26日 11:02
>レザンレザンさん
青木神社、いい神社ですね。
オールド焼津、ディープ焼津に、こぢじんまりとひっそりと佇んでいる様はすごくいいですね。
また、子供のころの見慣れた風景というのはいつまでも忘れられないものです。
保育園も元気にやっていました。
青木神社、いい神社ですね。
オールド焼津、ディープ焼津に、こぢじんまりとひっそりと佇んでいる様はすごくいいですね。
また、子供のころの見慣れた風景というのはいつまでも忘れられないものです。
保育園も元気にやっていました。
Posted by クールなお at 2009年08月27日 14:00
唐突のコメント失礼致します。
船玉浦神社では、海上安全のお守りはありますか??
船玉浦神社では、海上安全のお守りはありますか??
Posted by missa at 2013年09月12日 17:17
>missaさん
宮司さんがいるような規模ではないので、お守り拝受はできないです。
たぶん昔は船主や漁師の信仰が篤かったと思われますが、周辺の開発で取り残された観があります。
宮司さんがいるような規模ではないので、お守り拝受はできないです。
たぶん昔は船主や漁師の信仰が篤かったと思われますが、周辺の開発で取り残された観があります。
Posted by クールなお at 2013年09月15日 08:42