清水もつカレー総研事務局・清水ブランド大作戦事務局
リビングハウスこまつ
清水区真砂町3-9 ℡054-366-2335 fax366-4572
リビングハウスこまつ
清水区真砂町3-9 ℡054-366-2335 fax366-4572
2010年02月18日
廃墟
細い路地の突き当たり、空き地にぽつんと井戸水をくみ上げるポンプが残されて立っていた。
この周辺には空き地が、そこここにあり,
井戸と思われる場所には丸い井戸の枠が残してあったり、
塩ビ管が目印のようにつきたててある。
昔の街道の分岐点近くなので、「まち」として賑やかな時代もあったと思われる場所だが、住む人もいなくなった廃屋もある。
空き家率が過去最高で13.1%
高齢単身世帯も5年前の前回調査から22.4%増の414万戸だという。
下り坂の日本!
そのすぐ背後に、「未知との遭遇」に出てきそうな形の換気筒があった。
下り坂の先にどんな未知との遭遇があるのだろうか。
2010年02月03日
伯爵の愛した蒲原
蒲原の青山荘
田中光顕伯爵の別荘
伯爵の履歴をかいつまんでいうと、
土佐勤王党で武市半平太に師事、政変から弾圧を受け脱藩、以後土佐に帰ることはなかった。
長州征伐の幕軍を混乱させるため大阪城焼き討ちを計画するが、新撰組に察知され十津川に逃げ潜伏。
京に戻り、坂本龍馬、中岡慎太郎らの薩長同盟のために働く。その中で長州の高杉晋作の弟子となる。
坂本龍馬・中岡慎太郎が暗殺されたとき駆けつけ、中岡から犯人の特徴などの証言を聞く。
その後鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争で活躍する。
維新後は陸軍少将、警視総監、学習院院長、宮内大臣など要職を歴任する。
この建物は大正7年に完成されたというが、田中光顕伯爵が、昭和14年3月95歳でなくなるまで住んでいた。
洋館が手前の石垣の上に建ち、多分そこからは海がよく見えたと思える。
その奥が、純和風の玄関で洋館とつながる。
現在は、この建物に続く松隣閣と呼ばれる一画も日本軽金属の管理で迎賓館として使われていると聞いたが、営業の人たちなどを案内するという。
3~4mあろうかという石垣は盛り土し築いたもので、建物の下に地下道があったり、建物横の出っ張りも通路で、幕末、維新、明治、大正、昭和と激動のなかをくぐってきた志士出身の伯爵ならではの、襲撃時への用心だったようだ。
多くの要人がこの地を愛し、この地で終焉を迎え、それがまた長命なことに驚く。
2010年01月31日
侯爵の愛した横砂
静岡市埋蔵文化財センターは、幕末・明治・大正と生きた、長州出身の井上馨侯爵の別荘「長者荘」のあったところに建っている。
長者荘本館は、2階建ての和洋折衷様式で、別館は平屋書院風と思われ、その背後にはコンクリート造りの倉庫があり、国内有数の趣味人「数寄者」としてのお宝があったと思われるが、昭和20年の空襲ですべてが消失してしまった。
井上馨侯爵だが、尊王攘夷派で高杉晋作、久坂玄蕃、伊藤俊輔(博文)らと英国公使館を焼き討ち。
しかし長州の秘密留学生として英国に向けて横浜から出航、5ヶ月かかったそうだが、わずか4,5日後上海で外国艦船とまちをみたとき早くも「攘夷はやめた」といい開国洋化主義者に変わったという。
鹿鳴館は井上が設立した。
ロンドン大学に学んだが、ロンドン大学にはこの5人を長州ファイブと呼び、碑が建てられているという。
国を挙げて攘夷と唱えているときに、それをやめさせる、異を唱えるのは命がけだ。井上候は刺客に襲われ、五十数針を縫うという死の寸前まで行ったがかろうじて命を取り留めた。
若いときはこのようだったが、維新後は新政府の要職を歴任した。
62歳の明治29年、横砂に長者荘を建て、大正4年81歳でここで人生の幕を閉じた。
この地には、最後の元老西園寺公望の坐漁荘、蒲原に田中光顕伯爵の青山荘、富士川に古渓荘などがある。
長者荘が残っていたらすごかっただろうと思われる。
2010年01月25日
王にふさわしい墓
5世紀初頭の古墳時代のもので、若い成人男子の骨があり、有力豪族の墓とみられる。
清水の庵原にある三池平古墳。
この場所に立てばそれが王としていかにふさわしい場所かがわかる。
わずか標高55㍍というが、前方には駿河湾に通ずる豊饒の海が見渡せる。
春は山菜を採り、夏は魚を追い、秋には木の実を拾い、冬には動物を狩るという縄文の時代から続く、豊かな土地であっただろう。
背後も、迫り来る山塊には距離があり展望がきく。
ナショナルトレーニングセンターの施設でトレーニングに励む精気ある声が、若き王の霊を慰める。
そして南西方向には、有度山と南アルプスの南端の山裾の間を通して、静岡の中心部が見える。
そして、その向こうは日本坂峠と大崩まで見渡せる。
もう一度南をみれば、東名高速と第二東名を結ぶ尾羽ジャンクションが目の前に展開中だ。
この王の葬られた一世紀ほど後に日本に伝わった仏教を、国の柱とするため7世紀後半に造られた尾羽廃寺跡付近に、現代の神「資本主義経済」を支える、大動脈が造られている。
尾羽廃寺はその名前さえわかっていないが、金堂・講堂・五重塔などを揃えたものだったという。
2010年01月16日
武田武将と家康の戦い
母の実家のお寺「海長寺」に法事で出かけると、本堂左に椿の木があり立て札がある。
朱印の椿
天正10年(1582)12月のこと 徳川家康公、武田方武将今福丹波守に追われ 当山椿樹の陰に逃れ一命を止めれられる この故事により朱印を受けこの名となる。
第十二代日應上人の御時也 立札寄進 遠藤稚三殿
またしても、武田武将今福丹波守と家康との戦いの伝承である。
家康を討ちとり逃した丹波守ら主従7人は村松で、その責を取って自刃し、それを村人が七代様と呼んで供養したというのが「杉原山虚空蔵堂」の説明文にあり、話がつながる。
しかし、今福丹波守は城代であった久能城を徳川方に攻められ籠城の後、天正10年2月(10月)城を明け渡し、甲州に去ったという説もある。
いずれにせよ、戦国の世 信長が本能寺の変で討たれた年、この地でも激しい命のやりとりがあったことは間違いがない。
2010年01月08日
江尻宿で石蔵発見
旧東海道沿いにあった、漆器店が取り壊され、石蔵があったという情報に「清水くら倶楽部」として調査に出かける。
どうも最近、建て替えほかの理由で更地になったところに、蔵発見!がある。
普段はまったく見えないところ、街道から奥まった所にあるせいかその所在がわからない。
家の建て替えという、何十年に一度の機会にしか発見されない。
そして、朽ちていくのを待つだけの蔵。
だが、石蔵は朽ちないである。じっさい取り壊すのにもウン千万円の費用がかかるとも聞く。
私たちが、歴史の生き証人、語り部といっても所有者はもてあましているのが実状だろう。
ということは、現在建築中の高さ百㍍と越えるという再開発のマンションも、人口が急速に減少し高齢化するなかで居住者がこれからずーっとフルに入居しているということが無くなり、維持管理負担が大きくなり、建て替えるにもまず取り壊す費用も莫大なものになり、今の石蔵のようにならないだろうか。
否、このマンションが常に入居者で満たされているということは、郊外の住宅過剰がすすみ、ゴーストタウン化する。
そんなことまで、思いをはせてしまうのであった。
表街道からは見えずじまいだった蔵。どこからか通じるところがあるだろうかと、裏路地に回ってみる。
この路地は、長男信康の遺髪を納め祀ってある江浄寺へ家康が、江尻宿へ抜ける道として通ったという小路。
ここから見ると、家が密集していて、どこからも寄りつくところがない。
しかも2連だ。
で、どうして蔵には草が生い茂るのだろう。
石で作られた壁は朽ちなくとも、放置されていれば屋根が雨漏りし抜けてしまうということは十分ある。
文明が成熟し、人口が減り、衰退し消え去った廃墟を過去にいくつも持つこの世界は、「留意する」にとどまってしまった、温暖化物質排出削減もあいまって、滅亡の道をたどっているかも知れない。
2010年01月06日
清水版 五十嵐邸か
まちの中にずーっと変わらずある建物がある。
中学時代に、恩師のために献血した病院、通った高校のすぐそばにある杉山医院。
最近はお世話になったことはないが、内部も昔のままの黒光りした木造で、先生も愉快な人で、「あそこはいいわぁ~!」とは利用した人の話。
外壁はどうやら、木から新しい建材で貼り替えたようだが、基本的には昔のまま。
エイヤっと、壊して新築せずに使い続ける。
エコロジーの観点から、限られた資源のキャパシティーから、持ち合わせているものを大切に使いまわす時代だ。
スクラップ・アンド・ビルドは資源の浪費として、「かっこわるいこと」
新しく造られたものよりも、修復され、リノベーション(修理改造、用途変更)されて使われるものの方が、ずっと魅力的で「かっこいい」
今も現役で活躍し続ける「杉山医院」
素敵でかっこいい。
そんな清水の建物を紹介したブログ
2009年12月17日
清水秋葉山
火伏せの神様、秋葉山の大祭へお詣りに行って来ました。
なにしろ、今年は隣家が全焼という火災から類焼もせず、こうして無事年を越すことができたのだから。
地元で子どもの頃から慣れ親しんだ秋葉山のお祭りに行かねばならぬ。
高校の時部活で駆け上がった急勾配の階段を、大僧正が上がってくる。
纏を持った消防団員、修験者などが社に入り、祈祷がはじまる。
火渡り台に積み上げられた護摩木、杉の葉に火が入れられ白い煙が上がったと見るや、たちまち真紅の炎があがる。
間近で見ていた見物人もその熱に思わずたじろぐ、炎の熱さに手をかざす。
しかしこの台の上にも修験者や消防団員はいる。すごい熱さだろう。
本日のところは火渡りには挑戦せず帰る。
露天の数も減っている。
しかし目新しいものがある。
というかこちらが疎いだけか。
「給食の時間」という露天商、揚げパンに何かを塗っている。
そして人気が、肉巻きおにぎり。
長い行列ができていた。
有名らしい。
焼きラーメンというのもあった。
そして、輪投げや射的。
ここらは何十年と変わらない、懐かしい風景だ。
地元のこのような伝統的な祭りは大切にし、また楽しみたいものです。
2009年12月07日
武田信玄と清水
久能寺観音道が有度山の根方をつたい久能寺(現鉄舟寺)にさしかかる少し手前に杉原山がある。
この麓にある、虚空蔵堂は武田信玄のいわれのあるお堂。
杉原山虚空蔵堂
このあたりは杉原山と言います。今から約五百年前に創立された本能寺、村松一丁目のたきぎ取りの山であり、当時は杉原山全体が同寺の飛び地境内でありました。現在、この仏堂の境内地は六十六平方㍍程であります。
戦国時代、甲斐の武田信玄がまだ世に出なかった徳川家康を攻め、窮地に陥れました。その時、家康を追いつめたのは信玄の家臣、今福丹波守主従七人であったといわれますが、ついに家康を探し出すことができず、御主君に申しわけないと、この地で無念の自害をしたと伝えられています。
後に村人達はこの七人の悲運を哀れに思って「七代様」と呼んで供養してきました。
七代様を虚空蔵菩薩としてお祭りするようになったのは、今から二百年余り昔の明和八年(1771年)本能寺第十八世遠寿院日問上人の時からであります。
昭和六十年二月 不二見地区まちづくり推進委員会 清水市立第四中学校郷土研究会
うーん、敵を探し出せなくて自害となると、いくつ命があっても足りないし、戦力の重大な損失であるなぁ、と思ったところ、武田信玄好き山梨県の盆地中央から気になって思わずふらふらっとここへやってきたという人のブログでは
今福丹波守虎孝は久能山城城代を父から引継ぎこの地域を治めますが、天正十年2月、徳川軍に攻められ城を脱出。この地で子である善十郎とともに自刃した、とあります。案内板では武田信玄を絡め、ちょっとかわった説明になっています。
とありました。
とにかくこの地で、武田信玄の武将が悲運の死を遂げ、それを村人が供養してきて、現在でもお線香やお花が供えられ、お詣りする人があることが分かる。
そしてお堂の中にはこのような愛らしい木彫のお地蔵様がいる。
この地の人は、なにか昔からの言い伝えを伝承している、心優しい人たちという思いを持った。
すぐ近くには「言い成り地蔵」があり、そちらへも多くの人がお詣りしていると聞く。
そして、この杉原山から海へまっすぐにのびる「ポプラ並木通り」を、本能寺あたりまで下った左側に、今福丹波守子孫の家がある。
ふつうの民家のようだが、武家に許された立派な門がある。
そして先ほどの本能寺にも、「山門は戦国時代庵原郡一帯を領有した甲州武田軍団の武将今福家の母屋の門という」説明文があり、
また入江町の東明院の南蛮鉄製門扉にも武田菱があり、それは武田家の重臣穴山梅雪が城主だった江尻城のものだったという。
こうしてみると、武田信玄との縁が深い「清水」が見えてきました。
2009年12月02日
静岡市産業活性化懇話会
平成17年3月に策定した産業振興プランの見直しの資料の中で、プラン策定時の状況と近年の状況の変化がある。
廃業事業者数が開業時業者数の2倍 → 廃業事業者数が減り1.1倍に縮小した。
製造品出荷額が10年前に比べ約3割減 → 4年間で11.3%増
卸売業が10年前と比べ3割以上減 → 3年間で1.4%増
小売業の年間販売額は10年前から2割近く減 → 3年間で-0.7%と横ばい
やや持ち直しているように見える。
商業者として、中央流通資本の進出で地域の活性化に必要な①お金が入る、②お金が回る③お金を出さない、この流れの真逆が行われていること、人口減少ですべてが縮小していく中で、成長とは真逆が当然の流れで安易な従来路線の延長では、必ずほころびが出るということを言いました。
はたして経済が人々に幸福をもたらし続けるものであるか?
ブータン国王に倣えば、産業政策課 → 幸福政策課でもいいのではないか、との発言には苦笑をもらったが、
地域経済循環(内需活性化)とソフトサービス産業化の視点が必要と思います。
ソフトサービス産業化は、モノは要らない!時代に体験が欲しい、文化を味わいたい、それにはお金を払う時代となっている。
文化とはその土地に根づいたもので、輸出不可、輸入不可のもの。
スポーツツーリズム→東静岡にスポーツアリーナをということが新聞報道(私が発言中の写真付き)ではあったが、アリーナ建設でスポーツイベントを輸入する(もってくる)、これは施設の競争、つまりお金の競争、規模の競争。
大道芸も輸入物、県庁所在地がやるのは間違ってはいない。
しかし、それよりも輸出不可能なその土地独自の祭りや郷土芸能、都市観光、体験観光、着地形観光、食文化、静岡ブランド、地域特性に即した商業集積(ミニ東京ではなく)などが、都市の魅力を磨き、産業の柱となっていくのではないだろうか。
静岡の中心街に、地方の文化を現す和菓子屋さんがなくなり、カフェの林立は危うい傾向だと思う。
廃業事業者数が開業時業者数の2倍 → 廃業事業者数が減り1.1倍に縮小した。
製造品出荷額が10年前に比べ約3割減 → 4年間で11.3%増
卸売業が10年前と比べ3割以上減 → 3年間で1.4%増
小売業の年間販売額は10年前から2割近く減 → 3年間で-0.7%と横ばい
やや持ち直しているように見える。
商業者として、中央流通資本の進出で地域の活性化に必要な①お金が入る、②お金が回る③お金を出さない、この流れの真逆が行われていること、人口減少ですべてが縮小していく中で、成長とは真逆が当然の流れで安易な従来路線の延長では、必ずほころびが出るということを言いました。
はたして経済が人々に幸福をもたらし続けるものであるか?
ブータン国王に倣えば、産業政策課 → 幸福政策課でもいいのではないか、との発言には苦笑をもらったが、
地域経済循環(内需活性化)とソフトサービス産業化の視点が必要と思います。
ソフトサービス産業化は、モノは要らない!時代に体験が欲しい、文化を味わいたい、それにはお金を払う時代となっている。
文化とはその土地に根づいたもので、輸出不可、輸入不可のもの。
スポーツツーリズム→東静岡にスポーツアリーナをということが新聞報道(私が発言中の写真付き)ではあったが、アリーナ建設でスポーツイベントを輸入する(もってくる)、これは施設の競争、つまりお金の競争、規模の競争。
大道芸も輸入物、県庁所在地がやるのは間違ってはいない。
しかし、それよりも輸出不可能なその土地独自の祭りや郷土芸能、都市観光、体験観光、着地形観光、食文化、静岡ブランド、地域特性に即した商業集積(ミニ東京ではなく)などが、都市の魅力を磨き、産業の柱となっていくのではないだろうか。
静岡の中心街に、地方の文化を現す和菓子屋さんがなくなり、カフェの林立は危うい傾向だと思う。
2009年07月27日
JR清水駅(東口・西口)愛称募集

清水駅舎が平成15年6月に完成・供用された。
その当時商店街理事長でありイベントの企画をした。(その時、チャオクボさんとも知り合った。)
完成記念イベントin清水駅前銀座企画
趣旨
JR清水駅が新築され、東西の自由通路の機能をもち6月21日に完成、供用が開始されます。
新駅舎完成を記念し、清水駅前銀座でもイベントを企画しました。
江戸時代からの都市計画に基づく「まち」は街道を基盤に、宿場・門前・市などを中心に集積し、
近代においては大量輸送手段の鉄道駅を中心に発達してきました。
しかし戦後のモータリゼーションの進展により、今までの中心街は空洞化をし続けています。
そして今、急速に進む高齢社会、人口減少、行き過ぎた車社会などを見ると
、ヨーロッパの先進地の例からも公共交通機関の結節点である中心街は、
人々の暮らしの大切な場所であることが認識されはじめました。
そこで当商店街ではJR清水駅という重要な公共交通の拠点が新築されたことを祝い、
人々にとって「駅前」という場所が暮らしのなかでどのような意味を持つかを考える催事を行いたいと考えました。
テーマ
コミュニティの再構築、高齢社会と人口減少、資源と環境-どれをとっても駅前中心街はこれからの生活拠点・キープレース!
内容
1) 栗田仁氏講演会「公共交通機関と中心街の活性化」
2) 福祉・介護タクシーの展示
3) シニアスクーターの展示・試乗
4) 清水駅前銀座のレンタル自転車・ショッピングカートの展示、貸し出し
5) バス利用の促進イベント
6) 駅舎完成記念ワゴンセール
7) 駅前銀座お休み処
8) パレード(東海大学付属翔洋高等学校ブラスバンド・入江小ユーカリバンド)
9) 駅前地下道お絵描き隊
10) 小規模授産施設「ともの家」手づくりクッキーの販売
あれから6年が経過、
その間、今までまったく馴染みのない東口、西口という便宜的、機能的名称で呼ばれてきた。
それを、市民にわかりやすく親しまれる愛称を決めよう(役所的には策定しよう)ということで、この21日から公募がはじまりました。
採用には最優秀3万円!
詳しくは静岡市のホームページをご覧下さい。
たとえば東口←→西口にたいして
みなと口←→まち口 まぐろ口←→ちゃみかん口
みなとのある東口を次郎長口、西口をまる子口
まぐろ口にもつカレー口?
なんてのはどうだろう。
皆さんふるってご応募下さい。
締め切りは9月11日までです。
2009年07月19日
清水区真砂町の火災

午前7時50分ころ、サイレンの音で騒がしい。
やがて電話がかかり真砂町だという。
スワッ!うちの町内だ!ということで屋上に駆け上り南を見ると煙がすごい。
火元は、清水橋の側道の飲食店付近からだというが、それがアーケード街の商店に類焼している。
空き店舗が連なっているところで、昔の「清水スポーツ」「塚本電機」「長崎精肉店」「寛永堂」は火が入り、
焼け落ちるところまでは行かないが、ほぼ全焼とみられる。

火元側でも「クレープ屋さん」居酒屋の「剣」さんはほぼ全焼。
詳しいことはこれから明らかになるでしょうが、大火事でした。
幸い人的被害はなかったもようです。
そのなかで、つぼひさん、八兵衛さん、うめさん,ナポレン・ポッチーさんはじめ多くのブロガー消防隊員が活躍してくれました。
本当に感謝です。
その後火災現場に行って来ましたが、すべてが灰燼に帰したという状態でした。

2009年07月05日
清水七夕まつり最高潮
第57回清水七夕まつりも2日目、日曜日で人出も天候に恵まれ絶好調!
昨日の審査につきそい、集計し結果が出たのが午後8時頃、実行委員長として確認、賞状の筆耕をおねがいし、終わったのが午後10時半。なが~い一日でした。
その結果発表です。
栄えある経済産業大臣賞は紅屋化粧品店さん
駅前銀座ではアーケードを利用して水平に竹を設置しそれに吊るのが多いのに対し、清水銀座では伝統的な斜めの竹竿の三角空間を見事に使って飾ってある。
しかし、是非見てもらいたいのが夜の照明がともされたとき。
七夕はやはり夜のお祭りなので、このイルミネーションを是非見てもらいたい。
県知事賞は、松永ふとん店さん。昨年まで七年連続産業経済大臣賞を受賞。
今年は残念ながらその座を譲ったにしても、お見事!
賞状は暫定県知事として副県知事の名前になっていた。
続く、静岡市長賞は杉山洋品店さん。
ヤッターマンの巨大なキャラクターと、回転する登場キャラクターが子供の人気を呼んでいた。
色使いもきれいでした。
巨大なにんじんのキャラクター。オレンジの巨大な固まり!
インパクトあり!
清水らしい帆船にフジッピー。空港から港へということか。
ここではじめて、駅前銀座のマルハナ帽子店さんが登場。
清水銀座はこの清水七夕祭りを単独で昭和28年に始めた発祥の地。
粒ぞろい。
その中で気を吐くのがいつも駅前銀座で最上位の賞を取る。
大きな飾りを作るのはいいが、これを毎晩商店の中にしまわなくてはならない。
この工夫も大変だ。
しかしこのような伝統的な玉飾りも、賞取りということでは不利だが、なかなかいいものだ。
こんなペダルカーのコレクションが展示されていたりします。
昔ながらの金魚すくいや、射的なども健在で楽しいお祭りです。
七夕祭りは7日(火)まで。
2009年06月30日
シュタイナー セラピスト 紹介
私の同級生で、シュタイナーの勉強をしてきた方がいます。
シュタイナーについては興味を持っている人が多いので、彼女の話を聞く会を持ちたいと思いますが、先日も書いたとおり、英文での研究・論文・記録なので、それが日本でどのような訳語となっているか、どのように表現したらいいかということで、今しばらく猶予を下さいということなので、しばらくお待ち下さい。
そこで、私も立ち話で彼女の話を聞いただけなので、プロフィールと経歴でも教えてほしいということでもらったメモを、彼女の紹介として、このブログにアップします。
帰国後3年ほど経つわけですが、もう少し活躍の場があって良さそうに思います。
是非お話を伺いたいと思います。
シュタイナーについては興味を持っている人が多いので、彼女の話を聞く会を持ちたいと思いますが、先日も書いたとおり、英文での研究・論文・記録なので、それが日本でどのような訳語となっているか、どのように表現したらいいかということで、今しばらく猶予を下さいということなので、しばらくお待ち下さい。
そこで、私も立ち話で彼女の話を聞いただけなので、プロフィールと経歴でも教えてほしいということでもらったメモを、彼女の紹介として、このブログにアップします。
私とRudolf Steinerの世界
1999(平成11)年
28年間、臨床検査技師として勤務した清水市立病院退職。
まもなく渡米し、シュタイナー教育に出会う
2000(平成12)年
Rudolf Steiner College(U.S.A)入学
3年間Steinerに関する基礎を学ぶ
2003(平成15)年
Tobias School of Art & Therapy(U.K)入学
3年間Art & Therapy学ぶ
病院でCase Study(事例研究)として450時間経験
Art & Therapist免許取得
卒業後帰国
現在
Anthroposophy医学のための医師会に所属し、講演会や研究会に出席
個人的には自宅にてcolorと対話する日々
静岡市清水区出身、清水区在住
帰国後3年ほど経つわけですが、もう少し活躍の場があって良さそうに思います。
是非お話を伺いたいと思います。
2009年06月23日
2009年06月21日
オリジナルバッグ
「やっぱり静岡!定額給付金でお買い物!!スピードくじキャンペーン」
ながっいタイトルのキャンペーンが昨日から始まりました。
これは静岡・清水の商店街連盟、清水・由比・蒲原の商工会が実行委員会を組織して行う事業。
みなさんが定額給付金でお買い物するとき、中央資本、他地区資本の流通業で商品を買うと、定額給付金は売り上げという形で、一週間とたたずこの地域から中央、または他地区へ流出します。
しかし今や消費がそのような大型店抜きにはでき得なくなっている。
アメリカの対日貿易赤字を解消するために行われた1985年のプラザ合意、1990年の日米構造協議により大型店の規制緩和が行われた結果だ。
当のアメリカは大型店規制の風が吹いている。
「米国流地方自治論を地域商業に即して読み解けば、地方自治体の大型店規制は、自分たちが帰属意識を感じているコミュニティが外部の巨大なパワーによってコントロールされ、我が町が変容することを強制され、そこでの暮らしや場合によっては健康管理も自己決定できなくなることによる憤怒の法的表現である。地域社会資源を自己統治できなくなることに対する嫌悪と恐怖心の表れである。小さな町の中心商店街は、わが町のアイデンティティを担う大切な地域社会資源である」大型店とまちづくり 矢作弘著 岩波新書
地域の小さな商店も大事だよ、まちの資源なのだと云うことを訴えたいキャンペーンが今度の事業の本当の意味だ。
ところで、このキャンペーンのちらしにオリジナルバッグとあるのは、じつはさくらももこさんのイラスト入りで、こんなふうです。
これも清水の大事な資源のちびまる子!
非売品だし、このキャンペーンのためだけに作った限定品。
商店でお買い物して、オリジナルバッグを当てよう!
2009年06月20日
給付金キャンペーンとロッシー君
今日からはじまった(~7/20)
やっぱり静岡!定額給付金でお買い物
スピードくじキャンペーン
ロッシー君が宣伝隊に参加
もつカレーシャツを着たロッシー君をスクープ!
さあこれから清水駅前銀座をキャンペーン隊が練り歩く。
私も、ポスターをサンドイッチマンよろしく前後にかけて歩き出す。
静岡の水やチラシを配ってロッシー君大活躍、愛想を振りまく。
ミスしずおかクイーンも同行するが、ロッシー君人気にはかなわない。
約一時間、キャンペーンで、も疲れたロッシー君、さすがにへばって
まるで抜け殻のようです。
このキャンペーン、静岡・清水商店街連盟、清水・由比・蒲原商工会の各加盟商店で行うスピードくじです。
景品は富士山静岡空港からの旅行券、お茶やモモやわさび・枝豆などの特産品セット、そして静岡おでんや清水もつカレーなどの詰め合わせ、オリジナルバッグは非売限定品で、さくらももこのイラスト入り、日本平動物園の入場券は5万名様に、100円商品券が10万名に、はずれ券5枚で、マクドナルドのハンバーガーと交換できるというものです。
地域の商店街でお買い物を!
2009年04月18日
アートクラフトで買ったもの
も疲れのようで・・・ ちがった お疲れのようで・・・
と書かれた、シュールな猫?犬?妖怪?
シュールな流木クラフト
清水駅前銀座会場で見つけました。
大勢のお客様で賑わい、駅前銀座と自分の店で手一杯で
駅東口会場に出かけられませんでした。
(実行委員にもかかわらず)
東口会場でも、面白いものがいっぱいありそう。
さすがに全国から448名の応募がありその中から200に選考された、クラフト作家のものだけにレベルが高い。
みなさんもぜひ、お出かけ下さい。
明日まで
JR清水駅東口会場 10:00~16:00
清水駅前銀座会場 10:30~16:30
2009年04月16日
豪華客船の船内
ゲームセンターかと思いきや、いえいえカジノです。ラスベガスのカジノが2年前まで運営、現在は自前でやっているそうです。海の上は治外法権、キャッシュが飛び交っているのか?
<右>会員制の倶楽部、イギリスのメンズクラブという趣で、入口には葉巻がケースに収まっていた。
前部にある広大なデッキ、冬はお湯を貼ったスパもあるそうで、上階にはテニスコートがある。
2009年04月05日
まちが動き出した
アーケードを抜け清水駅前広場にでると、風景が一変している。
何十年来見慣れた景色が、一軒がすっぽりと姿を消し去っていた。
まだ一軒ではあるが、次から次へと姿を消していく始まりなのだ。
駅前広場はほぼ現在の倍近くになるという。
ここには、清水駅西第二地区優良建築物整備事業ということで9億円の事業費でビルが建つ。
さらに大和屋さん、バスターミナルの地区には、駅西第一地区市街地再開発ということで、百メートルの高さのビルが建つという。
ハード整備は着々と進む。
しかしそれで心はついていくのだろうか。
新しくきれいなものができれば豊かなのか、幸せなのか、うれしいのか、楽しいのか。
人がつながれる、そんなことを促すハードでなければ、施設でなければ、
豊かさを感じることはできにくく、かえって、なじめないと感じる人が多ければ意味がない。
新しい、大きい、早い、高い、こういう尺度はもういらない。
身近で、ゆっくりと、しずかで、穏やかで、つながれて、ほほえんでいられるような、
そんなまちになっていくといい。



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